ノスタルジー千夜一夜

失敗と後悔と懺悔の記録(草野徹平日記)

第2夜 ラブレター(失恋)・・・借りものだった自分を捨てる時

人生で一度だけ、ラブレターを書いた。

初めて本当の自分を話せた。

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 「草野、この写真は使えない。」
サークルの先輩が差し出した写真を見て、私は息が止まった。

 

先日開かれた、各大学合唱団の合同クリスマス会での集合写真だ。
整列した参加者は、皆いい笑顔をしている。
しかし私の両手は、あろう事か前に立った女の子の胸に張り付いていた。
「実際に触ってはいないはずだ。酔った勢いでの冗談だ」と思ったが、当日酔いつぶれてしまった私にその時の記憶は全く無い。


かくして交流の記念写真は破廉恥行為の証拠写真となり、参加者に配布されないまま廃棄された。
私は恥ずかしさに小さくなると同時に、奇妙な高揚感を覚えた。
「こうなったら、突撃有るのみ!」


私は大学のグリークラブに入っており、その女子学生は近くの女子大の女声合唱団のメンバーだ。
市内の各大学合唱団は定期的に合同演奏会や研修会を開いていたので、研修会や役員の会議で何回か顔を合わせることがあった。
私はその子に何となく好意を抱いていたが会話をする機会はほとんど無く、たまたまクリスマス会で話をすることが出来たばかりだった。
「とにかく謝罪せねば」と思ったが、その思いの片隅には
「これを機会にまた会える」という下心があった。


早速知人からその子の電話番号を聞き出して電話をかけた。
私は事の顛末を説明し、お詫びの言葉を伝えた。
彼女は優しい口調で「そんなことは気にしていませんから」と許してくれた。
私の手が実際に胸に触っていたのかどうかが気にはなったが、とても口に出して聞くことは出来なかった。

 

「是非、直接お会いしてお詫びをしたいんですが」と言ったが、丁重に断られた。
しかし、いつもは女性の前でうまく話の出来ない私が、この時ばかりは驚異の粘りを見せた。
彼女は、このままではこの男が自宅まで謝罪に来かねないと思ったのか、やっと週末に会うことを約束してくれた。
私は天にも昇る気持ちで電話を切った。


それから数日は忙しかった。
「デート」に着ていく服が無い。
私はいつもGパンにジャンパー姿だったので、仲の良いTからスーツとトレンチコートを借りることにした。
床屋に行き、待ち合わせ場所の喫茶店の下見もして当日を迎えた。


日曜の午後、待ち合わせの喫茶店に彼女は現れた。
淡いベージュのコートの下は赤いスーツ姿で、とても似合っていた。
一方の私はTから借りたダブダブのスーツを着ていた。
まずはお詫びの言葉から切り出したが、彼女はあっさりと許してくれ、それ以外二人の間に共通の話題は無かった。
彼女の方が気を遣ってくれたのか、私のグリークラブが今度演奏する曲のことに話題を振ってくれた。

「詩を書いた尾崎喜八は一昨年亡くなられたそうですね」
『あ、そうなんですか。僕はよく知らなくて・・・』
歌っている私よりも、彼女の方が詳しかった。

 

私は場の雰囲気を紛らわそうと、当時始めたばかりのパイプを取り出した。
刻まれたタバコ葉にはバニラ系の香りが付けてあり、とても香りが良かった。
タバコ嫌いなサークルの先輩がこの香りを気に入って、パイプだけは彼の下宿で吸うことを許してくれたほどだ。

 

パイプにタバコ葉を詰め終えると、Tから借りた洒落たライターでおもむろに火を点けた。
そして煙が彼女の方に行く様に、それとなく彼女の顔に煙を吹きかけた。
その後の彼女の反応は思い出すのも辛い。
タバコの煙を顔に吹きかけるという行為がどんなに非礼な事か、当時の私には想像も出来なかった。
こうして私の人生初の「デート」は、珈琲を飲み干す間もなく終わった。
 

スーツとコートを返しにTの下宿へ立ち寄った。
こうなることを予想していたのか、私が何も言わないのにTは慰めの言葉をかけてくれた。
落ち込んだ私はさらに誰かに励まして欲しくて、近くに住む先輩ナガイさんの家を訪れた。
話を聞いたナガイさんは大笑いし、やっと笑いが収まると、
「お前は、お前のままでいいんだ。借り物の服なんか必要ない。いつものGパンをはいた、ありのままの自分を見てもらえ」と励ましてくれた。


その言葉に意を決した私は、翌日から下宿にこもって手紙を書き始めた。
手紙には自分の生い立ちから趣味まで、本当はあの喫茶店で話したかったことを綿々と綴った。
内容にも苦心したが、一番苦労したのは清書だ。
私の文字は普段から小学生並みと評価されており、いくら書いても満足のいくものは出来なかった。
下宿をほとんど出ずに朝から晩まで書いては破りを繰り返し、それでも一週間ほどで「ラブレター」は完成した。
この間、講義に出てこない私を心配して友人が何人かやって来たが、欠席の理由を知った途端にみんな腹を抱えて笑った。


投函して数日後、下宿の郵便受けに淡い水色の封筒が届いた。
宛名に書かれた整った文字に心がときめいた。
しかし、封筒は限りなく薄かった。
封を切らなくても内容はわかっている。
大学の学食でお茶を飲みながら、短い文面を読んだ。
窓の外で白い花が風に揺れていた・・・

 

たまにパイプをくゆらす時、赤いスーツの色の鮮やかさと共に、あの一週間を思い出す。
薄暗い四畳半の下宿で、ひたすらペンを走らせた。
あの時の自分に今会えるなら、励ましの言葉をかけてやりたい。
だが言葉をかける前に・・・

 私は、笑いを抑えられるだろうか。

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