ノスタルジー千夜一夜

失敗と後悔と懺悔の記録(草野徹平日記)

第6夜 ダニー・ボーイ(我が子を待ちわびて)・・・帰らざる日々

アイルランド民謡「ダニー・ボーイ」は、戦争に行ったまま帰ってこない息子を待つ、父親の気持ちを歌ったものだと聞く。

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「女将さん、曲名は何?」                                    
 『何とかボーイ、ボニーだったかな?』
少し酔ったかに見える女将は、はっきりとしない。
「マイボニーかな?」と部員の一人が言った。
 『うーん、そんな名前だったかな』
「それなら歌えます」と指揮者はみんなの方に向き直り、ピッチパイプの音を鳴らした。
 My Bonnie lies over the ocean
 My Bonnie lies over the sea
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中学校で習った簡単な曲だ。
1番は英語で、2番は日本語で、曲を何回も繰り返すうちに歌詞を忘れていた部員も加わり、歌は次第に盛り上がっていった。
歌が終わると女将は、
『ありがとう。お礼にお酒を追加サービスするよ!』と上機嫌だった。
喜んだ私たちは再度マイボニーを、今度は肩を組んで歌い始めた。
そんな大賑わいの宴席で、私は最初にメロディーを聞いた瞬間の女将の表情が気になった。
それは当惑した表情で、「この曲では無いんだけど」と言っているかのように見えた。

 学生の頃、私の所属するグリークラブ男声合唱団)は、演奏会後の打ち上げで平和公園近くの店「いろは」をよく利用した。
木戸をくぐると小さい庭があり、大広間もある木造の店だ。
昔は結構格式の高い店だったのかもしれないが、私が学生の頃は建物も古びており料金も手頃だった。
いつも宴会の最初に女将が挨拶に顔を出し、お樽を出してくれる。
六十過ぎに見えたが、もっと若かったのかもしれない。
宴会の時にはみんなでよく歌った。
合唱が始まると仲居さんたちも手を止めて聴き入り、その中に女将の姿が見えることもあった。

そしてこの日、女将が珍しくリクエストを言ってきたのだが、曲名を忘れたらしかった。
それに応えようと歌ったのがマイボニーだ。
そしてその日以来、この店で宴会をするたびに私達はマイボニーを歌い、女将も私たちと一緒に肩を組んで歌った。
その後に、お酒の追加サービスが出たのは言うまでもない。

「私には息子が一人いるんだけど、今はアメリカに留学している。
 あんた達を見てると息子を思い出す」と、女将が教えてくれた事があった。
私はなぜ女将がマイボニーを聴きたかったのか分かった気がした。
だが、マイボニーは海で死んだ息子に向けて「帰ってこい」と呼びかける歌だ。
そして、女将は息子が何歳なのか、いつ帰ってくるのかの問いには答えてくれなかった。
「女将の息子は帰ってくるんだろうか?」
気にはなったが、その後の息子の様子を聞く機会がないままに、私は卒業してしまった。

数年前、「ダニー・ボーイ」という曲を知った。
出征した息子の帰りを待ちわびる親の気持ちを歌った歌だ。
メロディーだけは知っていたが、英語の歌詞の意味を初めて知った。
自分が死んでもなお、墓の下で息子を待ち続けるという親の思いに、思わず涙が出た。
ふと、「いろは」の女将の顔を思い出した。
ひょっとしたら、あの時女将が聴きたかったのは、ダニーボーイだったかも知れないと思った。

だが今となっては、女将の気持ちも息子の事もわからない。
ただ、元気なマイボニーの曲と違って、ダニー・ボーイは切ないメロディーだ。
もしあの時ダニーボーイを歌っていたら、きっと女将は泣いていただろう。
肩を組んで歌う時の女将はいつも笑顔だった。
会えない息子を思いながらも笑っていたかったのだとしたら、曲の間違いはそれで良かったのかも知れない。


先年、学生時代を過ごした広島を久々に訪れた。
大学は郊外へと移転し、私の住んでいた寮も下宿も取り壊されていた。
ふと女将のことを思い出し「いろは」を訪ねてみたくなった。
卒業後すでに四十年が経つ。
女将が生きているはずもないのだが、店のたたずまいなりと見たかった。
しかし、店のあった平和公園の南側を探してみたが、街並みはすっかりと変わっており店は見当たらなかった。
女将は息子に会えたんだろうか。
そのことだけが気になった。
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 「 Dany Boy 」     曲:伝アイルランド民謡
              詞:フレデリック・ウェザリー
               (邦誤訳:草野徹平)
 (1番の歌詞は省略)
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But if ye come and all the flowers are dying
If I am dead, as dead I well may be,
You'll come and find the place where I am lying
And kneel and say an Ave there for me. 

 お前が帰った時 花はもうすべて枯れ落ち
 私が死んでいたとしても
 きっとお前は 私が眠る場所を見つけて
 ひざまづき 声をかけてくれるだろう

And I shall hear, though soft, your tread above me
And all my grave shall warmer, sweeter be
For you will bend and tell me that you love me
And I will sleep in peace until you come to me. 

 お前の足音がどんなに小さくても 私には分かる 
 お前が墓に祈り 愛していると言ってくれたなら
 私はどんなに幸せだろうか
 だから私は安らかに眠ることにする
 お前が私のもとに帰るその日まで

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ウクライナで戦争が続く今、ウクライナとロシアそれぞれの国で、家族の帰りを待つ人達がいる。

兵士達が無事に帰ってくる事を願います。

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