ノスタルジー千夜一夜

失敗と後悔と懺悔の記録(草野徹平日記)

第10夜 1962年式メグロS7・・・国産5メーカー混血車との旅

我が家には錆だらけのオートバイがある。
最後にエンジンをかけて以来、数十年も軒下で寝ている。
でも、捨てられない。
・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・

宮島 鳥居 に対する画像結果

ライトに照らし出され、海の中に鳥居が赤く浮かび上がっていた。
ばあちゃんが修学旅行で、ここ宮島を訪れたのは遥か昔だが、きっと当時の海も夜はこんなに静かだったんだろう。                                         
岸辺からばあちゃんの「遺灰」を撒くと、それはさらさらと波間に消えていった。


私は、ばあちゃん子だ。
仕事で忙しい私の両親に代わって、いつも面倒を見てもらった。
私が実家を出て広島の大学に進んだ時、ばあちゃんはとても寂しがった。
その後私は広島で就職・結婚し、子どもも生まれた。
ばあちゃんは「早く帰ってこい」といつも言っていたが、私に長男が生まれて間もなく大病をして寝込んでしまった。


見舞いに帰省すると、ばあちゃんは病室の天井を見つめながら、昔の思い出話をしてくれた。
 「宮島へ船で渡る時に、先生の山高帽が風に飛ばされて海へ落ちてしまい、みんなで大笑いした」
 「十八の時、野良仕事の後に馬に乗って走って帰ったら、じいさんにひどく怒られた」
人生の最後を迎え、自分が一番輝いていた頃に思いをはせていたのだろう。
ばあちゃんの回復を祈って家族みんなで千羽鶴を折ったが、ばあちゃんはあっけなく逝ってしまい、千羽鶴も棺に納めて焼かれた。
だが不思議な事に 、焼かれてもなお千羽鶴の何羽かは固くその形を留めていた。
それはばあちゃんからのメッセージのような気がして、その一つをそっと手に取り小さなケースにしまった。
それから大切に保管していたのだがいつの間にか形は崩れ、ただの灰になってしまった。
私はばあちゃんの思い出の海である宮島に、その「遺灰」を撒く事を決めていたのだが、一周忌の直前の今日になってやっとそれを果たすことができた。

メグロS7 に対する画像結果
渡船で本土側に戻ると、駐車場に相棒は待っていた。
メグロS7
先月雑誌の売買案内欄で見つけ出し、自宅の福山から姫路まで鈍行列車を乗り継いで買いに行った250ccのポンコツオートバイだ。

その外見は、フレームとエンジンのメグロ以外に、タンクはヤマハ、シートはホンダ、フェンダーカワサキ、マフラーはスズキと、国産5メーカーの部品が寄せ集めで取り付けられており、正体不明のオートバイだった。

 

姫路から乗って帰った時を除けば、今回が初の遠乗りそして初の夜間走行だ。
ここ宮島までの120kmほどは快調だったが、レストアをした前オーナーの
「スピードは出すな。一応動くが十分チェックしてくれ」の一言が気になり、少し不安だった。


オートバイで宮島口を発った時には、すでに夜の9時を回っていた。
一般道を小郡まで走りそこから高速に乗れば、未明には熊本の実家へ着く予定だった。
しかし岩国を過ぎ徳山へと向かう山道に入った頃に異変は起きた。
ライトが暗い。
最初は目の疲れかと思ったが、明らかに照度が落ちている。
その他は快調なので、原因は充電異常しか考えられない。
次第に暗くなるライトに気は焦ったが、山道ではどうする事もできず、ひたすら街を目指して走った。
しかし峠を登り切る前にライトは消え、ついにはエンジンも止まってしまった。
バッテリーが空になったようだ。


真っ暗な山道は静まりかえり、時折通り過ぎる車の音だけが林にこだまする。
何度もキックするが、エ ンジンはかかる気配すらなかった。
明日は熊本の実家で、ばあちゃんの一周忌法要が予定されている。
私はどうやって明日の朝までに実家へ戻ろうかと途方に暮れた。
ともかくオートバイを押して山道を歩くと、遠くに灯りが見えた。
ドライブインの駐車場の街灯が、看板を明るく照らしている。
期待して進んだが、店は閉まって全くの無人だった。


街灯の下にオートバイを停め、シートを外した。
シートの下にはバッテリーが見え、その横には今は珍しい機械式のレギュレターがある。
レギュレターにつながる電線が数本有り、端子にはF、G、Eなどのマークが書いてあるが、私にはその意味がまったく分からない。
原因はこのあたりらしいのだが、工具もドライバーとペンチしか無かった。
このまま夜明けを待っていても仕方がないので、一か八かこの配線を適当につなぎ替えて試す事にした。
つなぎ替えてはキックをする作業を何十回となく繰り返す。
寂しい夜の山道で、あての無い作業を繰り返しているととても心細い。
年甲斐もなく半べそをかきながら、「ばあちゃん助けて」と祈る気持ちでキックを踏んだ。


すると、遠くから赤い光がゆっくりと近づいて来るのが見えた。
一瞬ドキッとしたが、それは巡回中のパトカーだった。
パトカーは近くに停まり、二人の警官が降りてきた。
私は助かったと思い、状況を説明した。
だが警官は私がオートバイの本当の所有者かどうかが気になるらしく、免許証を確認するとオートバイのナンバーを無線で照会し始めた。
所有者の確認が終わると、「ご苦労様です」とだけ言い残しパトカーは去っていった。
孤独な作業がまた始まった。


それは突然だった。
数十回目かの電線のつなぎ替えの後、エンジンは突如として息を吹き返し、山間に轟音が響いた。
私は歓声をあげると「ばあちゃんありがとう」と星空に手を合わせた。
何がどうなったのかわからない。
だがライトは明るく輝き、エンジンは力強く鼓動している。
ただ、ひとたびエンジンが止まれば再びかかる保証はない。
このままノンストップで熊本を目指す事とした。


一般道から高速とオートバイは快調だった。
関門海峡を渡って間もなく雨になったが、カッパを着る余裕は無く、秋の冷たい雨が体を濡らした。
福岡を過ぎた頃にやっと雨が上がり、同時に夜も明けた。
遠くの山際から陽光が射した瞬間、濡れたジャケット越しに太陽の温もりを感じた。
 「生きている。俺は生きて走っている!」
腹の底から喜びが湧き上がってきて、私は大きくアクセルを開いた。
エンジンの轟音と振動に包まれながら、私は空に向かってばあちゃんに叫んだ。
「ばあちゃん、俺は元気で生きてるよ!」


その日はどうにか法要の時刻に間に合い、無事役目を果たすことができた。
食事会も終わった夜、エンジンの調子を見ようとメグロのキックレバーを踏んでみた。
しかし、何の反応もなかった 。
その後、何度キックをしてもエンジンは二度とかからなかった。
何となくそんな予感がしていた。
山道で途方に暮れていた私を、きっとばあちゃんが助けてくれたんだと思う。


私はオートバイのタンクを優しく撫でながら、無事に実家へ送り届けてくれたお礼を言った。
すると「お帰り。」という、ばあちゃんの優しい声が聞こえた。

---------------------------------