僕は人を見送る時に、まともにお別れの言葉を言えたことが無い。
祖母の時も、父の時もそうだった。
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ここ数日、春を思わせるような陽気だ。
そろそろ家庭菜園の準備をしようと思い、雨ざらしの耕運機を動かした。
推定年齢40歳の小型耕運機は、スターターロープひと引きで目を覚ます。
先日、燃料コックを新品に交換して以来、やたらと調子がいい。
ところが、一度後退して、前進にギヤを入れた途端に動きが止まった。
クラッチを入れ直しても手ごたえがない。
クラッチワイヤーを引っ張ると、ケーブルがずるずると抜け出てきた。
ワイヤー切れだ。

近くにイセキの営業所が有るので、早速部品の注文に行く。
「あー欠品です。製造中止ですね。」
ずいぶん以前のものだし、仕方がない。
帰ろうかとしたら、年配のスタッフが
「部品を一品から作ってくれるところが有ります。」という。
早速出かけてみた。
幹線道路脇に小さな店はあった。
駐車場も狭く、どこが入口かわからないような造りの建物のドアを見つけ出し、中に入る。
様々な工作機械の奥に小部屋があり、3人の職員がいた。
応対に出た年配のお姉さんは、やたらと機械に詳しい。
さすが、世界に誇る日本の中小企業だ。
だが、切れたワイヤーの現物を見て、
「これを作るための部品は手に入りません」という。
かくして、わが愛車イセキKC77Fは廃車の危機を迎えた。
命の終わりは突然にやってくるものらしい。
だが、まだ諦めない。
手元にある自転車やバイクのパーツを流用して、
何とか息を吹きかえさせようと思っている。
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そのパーツ屋からさほど遠くない所に、友人のY君が療養している施設がある。
彼は私より3歳ほど年下だが、一年ほど前に急に倒れ、ALSの診断を受けた。
自宅で年末まで暮らしていたが、いよいよ一人では生活ができなくなり、介護付きの施設へと入所した。
引越しの手伝いも含め、このふた月で3回ほど訪問したが、前回からもう一月ほどが経つ。
ふらりと訪問する事にした。
最近できたばかりの5階建ての大きな建物が何棟もあり、300人ほどが入所しているらしい。
彼の部屋は、ナースがすぐに駆け付けられるようにか、一階の中央付近にある。
半開きのドアをノックするが返事がない。
「こんにちは」と中へ入ると、彼は天井を見たまま横になっていた。
「久しぶり。元気?」
他に、気の利いた挨拶が思いつかなかった。
『・・・・』
彼は何事かを喋るが、その言葉は弱々しく耳を近づけても聞き取れない。
何回も聞き直して、
『ナースを呼んでくれ』と言っているのが分かった。
若い看護師がすぐに来てくれた。
慣れているのか、彼女はY君のいうことをスムーズに理解できる
痰の吸引などをして、やがて一段落した。
二人だけになった部屋で、さて何を話そうかと迷った。
彼の言葉はあまりにも弱々しく、何回も聞き直す必要があった。
先月見舞いに来たときは、スマホを持ち上げることは、もうできなくなっていたが、喋りは達者で表情は明るかった。
その時は二人で、政治の話で盛り上がった。
だが、今日は彼の言葉の半分は聞き取れず、政治の話もなかなか成り立たない。病気は思った以上に早く進行していた。
ユーチューブを大画面で見るための設定の話や、書籍の音声朗読の勧めなどもしたが、
『気力がない。最近、急に弱った』と言う。
『・・・です』と、彼が私の目を見ていった。
何回か聞きかえして、余命三か月だと分かった。
想像していたとはいえ、つらかった。
何と言葉を返そう。
慰めるべきか、根性で運命にあらがえと励ますべきか・・・
「そうか。僕もあと何年生きるだろう。あと、十年もせずに追いかけていくよ。」
すると彼は薄く笑った。
「合唱でね、キリスト教会の礼拝堂で練習したり、演奏会をするんだ。
高校は○○高校だから毎日朝礼の時、仏様に手を合わせてお祈りをさせられたよ。
僕は無神論者だったけど、最近は神様はいるんじゃないかと思うようになった。
僕が何年か後に向こうに行ったら、また一緒に酒を飲みたいね。」
「そうだY君、その時は一緒に阿蘇までバイクでツーリングに行こう。
それまでに免許を取っといてよ」
彼は微笑んだ。

その後、衆議院選挙の残念な結果と、アメリカ政治の混迷の話を少しした。
「民主主義はどうなるんだろうね」
僕のつぶやきに彼は、小さな声で何かをささやいた。
何回も聞きかえして、人名なのが分かった。
初めて聞く名前だったが、民主主義に詳しい日本人の論客らしい。
Y君は優秀な人間で、有名大学に進んだが学生運動に傾倒し、大学を中退してしまった。
その後放浪生活を送り、様々な仕事を経て、最後は陶芸家の弟子となった。
四十も過ぎてから故郷に帰り、実家の脇に窯を開いた。
地元でも有名な窯元となり、一昨年まで活躍していたが病に伏してしまった。
互いに四十を越してからの付き合いだが、彼とは妙に気が合い、私は彼の工房をよく訪れた。
彼はいつも本を読んでいた。
二人で、政治や哲学の話をよくした。
彼は粘土だらけのテーブルに、小汚いカップを出してコーヒーを淹れてくれた。
足元にはいつも野良猫が寄ってきていた。
冷たい隙間風の中、安物の薪ストーブの温もりと、コーヒーの香りが心地よかった。
コーヒーを何杯もお代わりしながら、議論をした日々が懐かしい。
当たり前だったあの日々が、もう帰らないと思うと寂しかった。
「もう、帰るね」
私が席を立つと、彼が何か言った。
何か文章を喋るが聞き取れない。
何回も聞き返すうちに、言葉はやがて一つの単語に変わった。
『握手』
彼は最後のお別れをしようとしている。
少し、目が潤んだ。
でも涙は流したくなかった。
「Y君は、沢山のものを残したよ。沢山の作品。何人もの弟子。それは、これからもずーっと残っていくよ」
彼の細くはあるが大きな手を、壊れない程度に握りしめながら両手を重ねた。
部屋を出ると、涙が出た。
今日はどうしても、うわべだけの慰めや嘘は言いたくなかった。
僅かだが、本音が言えて少しホッとした。
Y君、僕は胃が悪いのに、なかなか酒がやめられない。
十年も待たせないかもしれない。
それまでに免許を取って、僕のためのバイクも用意しておいてくれよ。
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(追記)
もっと、彼といろんなことを話しとけば良かったと思う。
映画の様に、二人で世界をツーリング出来たらどんなに面白いだろうかとも思う。
そして、彼が教えてくれた論客の名前をメモしておかなかったことが悔やまれた。
ただ、最後の挨拶も終わったと思い沈んでいた夕刻、彼の姉さんから電話があり、明後日の彼の転院を手伝うことになった。
付き合いは、終わりそうで終わらない。
これが人生かも知れない。