カッチーニのアヴェ・マリアの歌詞は、「アヴェ・マリア」という言葉をひたすらに繰り返すだけの不思議なものだ。
しかしその旋律は、静かな聖堂に差し込む一筋の光の様に、聴く者の心を震わせる。
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メグミさんと初めて会ったのは、もうずいぶん昔だ。
生徒も下校した秋の昼下がり、携帯が鳴った。
知らない番号からだった。
『突然の電話で済みません。神川と申します』
素敵な声だなと思った。
柔らかで深みの有るアルトだ。
『そちらの学校に通う高校生の事で、ご相談があるんですが』
当時の私は、校外の機関と連携しながら、夜の学習会の運営や、不登校生徒の指導に関わっていた。
用件を尋ねたが、あまり他人に聞かれたくない内容らしい。
仕方なく、学校近くの教育集会所で会うことにした。
今日こそは早く帰宅できると期待していた私は、重い足取りで向かった。
そろそろ勤務時間も終わろうかという頃、メグミさんはやってきた。
ショートヘアーの、笑顔の爽やかな人だった。
私は急に元気になった。
(幾つになっても、男は煩悩から抜けきれない・・・)
彼女の話は少し込み入っていた。
メグミさんはK中学校の教育相談員として不登校生徒の指導をしている。
一人の中学生が、私の高校に通う姉のことを心配してメグミさんに相談をしてきたらしい。
姉は携帯電話を通じて怪しげな人物とつきあい始め、親にも内緒のその交際を妹に打ち明けたそうだ。
話を聞いた妹は心配になって、一番信頼するメグミさんに相談してきた。
しかしメグミさんは姉と繋がりは無く、また高校に連絡すれば姉にとって不利な状況にもなりかねない。
どうしようかと悩んで同僚に相談したところ、私を紹介されたという。
『草野さんは、口が堅いし頼りになる方だと紹介されました』
「いやー。それほどでも」
頭をかきながら、私は鼻の下を伸ばした。
しかし、それほど私のことを知っている人物がK中学校にいたろうか?
それに私の口が堅いのは素面の時だけだ。
その人物は、きっと私のことを余り知らない。
聞けば私を推薦した人物は、先日私が研修会で初めて会ったばかりの二人組だった。
朝から夕刻までのレポート研修に、私は弁当を持参して参加した。
ほとんどの参加者は昼休憩に外食に出た中、K中学校から来た二人の女性教員と私の三人だけが会議室で弁当を広げた。
休憩時間に話が弾み、今後もよろしくと互いに携帯番号を交換したのを思い出した。
おかげで、こんな厄介な話が舞い込んでくる。
私は女についつい気を許してしまう自分の性格を呪った。
私は仕方なくメグミさんの相談に乗った。
二人でああでも無い、こうでも無いと思案を巡らしたが、結局は
「今から、妹に会いに行こう!」という事になった。
秋の夕暮れは早い。
2台の車を並べて妹の自宅へ着いた時、すでに陽は沈んでいた。
メグミさんが妹を外へ連れ出し、私のワゴン車の中で三人で話をした。
それから小一時間ほど、いろんな方法を三人で考えた末、
「妹が姉に自分の心配をぶつけてみる」ということに無事落ち着いた。
妹は教室に入れず、登校してもいつも別室登校だと聞いたが、思いのほか芯の強い性格の様だ。
長時間の話を終え、空きっ腹を抱えた私が(やれやれ、やっと帰れる)と話を切り上げようとした時、別な話が始まった。
「明日は学校へ出ておいでよ!」とのメグミさんの声かけに、
『・・・』
妹は言葉を返さなかった。
それから、また長い話し合いが始まった・・・
沈黙の多い会話を根気強く重ねながら、メグミさんの様々な励ましに、妹は最後には笑顔になった。
部外者ともいえる私だったが、笑顔を見てほっとした。
空腹と疲労感に包まれながらも、私は久々に何かを成し遂げたような気持ちになった。
母親に妹を返した後、田舎道から国道まで二台の車を並べて走りながら、
「今日は良い仕事ができた」と嬉しくなった。
それにしてもメグミさんと妹の会話を聞いていて、これほどまでに生徒と職員は信頼し合えるものなんだと感心した。
私は彼女のことをもっと知りたくなった。
国道に出る直前の交差点で止まると、私は車から出て彼女の車へ近づいた。
「もうかなり遅い時間ですけど、お腹空いたんで、一緒に飯でもどうです?」
すでに時刻は9時に近かったし、我が家には妻も待っている。
ましてや、メグミさんも自宅で夫が待っていると聞いたばかりだ。
普通なら、出会ったばかりの男女が夜一緒に飯を食うなどということは考えられない。
だがその時の私には、男女という関係性は気にならなかった。
「良いですね。丁度私もそう思っていたんです!」
彼女は明るい笑顔で快諾した。
行きつけのうどん屋に行き、空腹の私はボリュームの多い親子丼定食を頼んだ。
すると彼女も同じものを頼んだ。
彼女もこの店で、よく同じメニューを頼むことが多いという。
それから二人でいろんな事を話した。
彼女は臨時採用の職員で、これまで様々な仕事をしてきたこと、教育相談にやりがいを感じていること、生徒が心を開いた時の喜びや苦労等々・・
私よりよっぽど筋金の入っている教育者だと思った。
校外の人間と接すると、時としてこんな魅力的な人物に出会うことがある。
これだから、人生は面白い。
こうして、メグミさんとの長い付き合いが始まった。

それから、もう20年以上が過ぎた。
この間いろんな事があった。
彼女との次の共同作業は、メグミさんが人権教育の全国大会で報告をすることになり、そのサポートだった。
K中学校の二人の女性教員とメグミさんは、「三姉妹」を名乗るほどに仲が良かった。
これにK中学校の職員や私も加わって、レポートの検討会を開いた。
人権教育のレポートは、生徒との関わりの事実を書き並べるだけでは無い。
自分の教育観、人生観、さらにはこれまで自分が生きてきた「生き様」をさらけ出し、自分自身を問うていく。
報告者と質問者は互いの人生観をぶつけながら議論をし、何が正しい道かを探っていく。
当時の私はそんな仕事が多く、深夜の残業や神経をすり減らすようなことも多かったが、おかげで多くの仲間を得ることもできていた。
議論の中でメグミさんの生き方・考え方を知る事ができ、会の後には焼き肉屋で打ち上げを行ったりと、交友は深まっていった。
また、互いに共通の友人もいた。
アメリカ人の英語教師ジョンは、私の高校とK中学校を掛け持ちで授業をしていた。
ジョンは日本人の女性と結婚し、披露宴には私達も招かれた。
ジョンの引っ越しの手伝いをしたり一緒に飲んだり、公私を通して付き合いがあった。
またメグミさんはいろんな社会活動に熱心で、私たちもよく巻き込まれた。
彼女は、突如として様々な組織を立ち上げ、教員や卒業生、市会議員なども巻き込んでひたすら突っ走った。
だが、ある日突然に「折れて」しまう。
彼女は「躁」の時期には八面六臂の活躍をし、「鬱」の時期には深く沈んでしまう。
学生の頃からこうなんだと自分でも言うのだが、なかなかコントロールできないらしい。
高校受験の季節になると、彼女はいつもいろんな不登校の子を引っ張ってきた。
生徒と三人で定時制高校を訪問して、職員からいろんな話をしてもらった事があった。
名物教員として知られる彼の話は面白く、うつむいてばかりだったその子は初めて笑顔を見せた。
帰り道に三人で入ったラーメン屋で、「私、高校に行きます!」と彼女は宣言し、メグミさんが大喜びしたのを憶えている。
別の子を連れてきた時には、少し離れた熊本市内の通信制高校を訪問した。
幾つも回ったが、思った以上に経費がかかることが分かり、入学は難しそうだった。
気落ちしながら帰路につくと、駐車場近くに小さな天神さんが有ったので三人でお参りをした。
雪が舞い散る中、二人は長い間手を合わせていた。
あの時、あの子とメグミさんは何を祈ったのだろう。
あの子は、今どうしているだろう。
どの子も、支えてやりたいと思う様な素直な子ばかりだった。
メグミさんとは、年に1・2度連絡があったり無かったりしながらも付き合いは続いた。
私の退職の時は、三姉妹とジョンで心のこもった慰労会を開いてくれた。
そんな彼女が四十代も半ばになってから妊活に励み、待望の子どもを得た。
ジョンの家で開いた出産祝いのバーベキューでは、メグミさんはまだ首も据わらない愛娘を抱いて幸せ一杯の笑顔だった。
ひょっとしてこの頃が、彼女が一番幸せな時期だったのかも知れない。
最後に会ったのは、それから数年後の冬だった。
私の自宅近くのスーパーの出入り口で、娘を連れたメグミさんに偶然出会った。
娘さんはもう三歳になっていたろうか。
夕刻の忙しい時間帯で、長話はせず互いの近況だけ話してすぐに別れた。
その年明けに年賀状が来たが、筆無精の私は返事を出さなかった。
申し訳ないと思い、後で写真付きのメールを送ろうとしたが、アドレスが変わっていて届かなかった。
月日と共に、人との繋がりも次第に薄れていくのだと思った。
その年の11月、メグミさんから喪中欠礼が届いた。
「誰が亡くなったんだろう?」と文面を見たが、一度では理解できなかった。
『 妻メグミが逝去しました 』
「妻? メグミ?」
私は、はっとした。
ハガキは、メグミさんの夫からだった・・・
ハガキには、メグミさんが死んだということ以外には何一つ書いてなかった。
人が死ぬということは、こういうことなんだ。
ある日突然、何の前触れもなく消えていく・・・
納得できない私は、久々にジョンに電話をした。
「僕からは何も言えない。K中学時代の三姉妹に聞いてほしい・・・」
ジョンの声は沈んでいた。
次女格のミドリさんに聞くと、自死だと言うこと以外は何もわからないと言う。
「よっぽど辛かったんだね・・・」
電話の向こうで泣いていた。
その週末、ジョンの家に行って二人だけで酒を飲んだ。
ジョンは、死の数日前にメグミさんと職場で会ったそうだ。
いつも通りの快活な笑顔だったらしい。
私は、愛する娘を残して彼女が自分の命を絶つということが、どうしても信じられなかった。

そんな折に、久々にカッチーニのアヴェ・マリアを聴いた。
それほど好きな曲ではなかったはずなのに、ひどく心に沁みた。
そして、なぜかこの曲は彼女が歌っているかのように思えた。
たまたま聴いた歌手の歌声が、メグミさんの声に似ていたからだろうか。
それからもう数年が経つ
私の記憶の中で、メグミさんはあの柔らかく深みのある声で、ひたすらに「アヴェ・マリア」と歌っている
彼女は泣いてなんかいない
ただ、祈っている
だが彼女は、何を祈っているのだろう
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