ノスタルジー千夜一夜

失敗と後悔と懺悔の記録(草野徹平日記)

第71夜 友へ

先週、Y君への最後の見舞いの時、別れ際に訊いた

「今度は酒を持ってくるよ。何が欲しい? ウイスキー? 日本酒?」

彼は声を出す力は無かったが、その口の動きは
はっきり「ウイスキー」と読めた。

 

「よし、今度来る時はウイスキーを持ってくる」
僕は、しっかりと約束した

でも僕は、またも約束を果たせなかった

今朝、いつもの様に母の朝食の支度をしていた
レンジのボタンを押したと同時に、携帯が鳴った
Y君のお兄さんからだった

「その日」が来たと感じた

「Yが、先程息を引き取りました」

体の力が抜けるのを感じた
昨日も一昨日も、行こうと思えば行けたのに、僕は見舞いに行かなかった

後悔がまた一つ増えた

 

 

最後の見舞いの翌日、スーパーの買い物の時に洋酒コーナーに行った
彼に酒の香りなりと嗅がせたかった

スコッチにするかどうか迷ったが、結局ブランデーにした
香りだけなら、この方が良いと思った

 

水曜は飲み会で、久々に繁華街に出た
会場近くを歩いていたら、今時珍しいタバコの専門店を見つけた
ふらりと入ると、狭い店内の壁いっぱいに沢山のタバコが並んでいる

「ショートピースって、もう売ってないですよね?」

 

病院でY君とタバコ談義をした際に、
「もうショートピースも、ショートホープも売っていないのかなあ」
「ピー缶ならあるだろうけど、50本は喫えないねえ」
そんな話をしたことがあった


店のおばちゃんに在庫を訊きながらも、期待はしていなかった

だが、「有りますよ」とおばちゃんが言う

見ると、棚にしっかりと濃紺のパッケージが収まっていた

これで、約束の酒も、念願のピースも手に入った

それなのにこの二日、僕は何をしていたのだろう
木曜も、金曜も、何をしたのかほとんど記憶が無い
日々の細かな雑用に追われ、あっという間に日々が過ぎていく


そして、Y君との約束を果たす機会を永遠に失ってしまった

 

Y君の自宅へとお邪魔した
座敷に寝床が敷かれ、彼は静かに横になっていた

手を合わせた後、タバコの封を切り、一本取りだして彼の鼻先に差し向けた

彼はもう息をしていない
芳醇なその香りをかぐことは無かった

「墓に布団は、かけられない」
そんな言葉を思い出した

 

帰り際、いつも彼とコーヒーを飲んだアトリエ前の庭に立ち南の方角を眺めた
そこには彼が愛した風景が広がっている
窯の名前にも付けた「日暮山」
その前に広がる田園風景
彼はこの自然豊かな土地を愛し、毎日を過ごした


タバコを一本取りだすと、火をつけた
久しぶりのタバコだ

前回喫ったのは、彼が家を引き払い入院する朝だった

あの時二人で喫ったタバコを、一人で喫う

 


Y君、あと10年待っててくれ
まだ、僕にはやりたいことが山ほどある


けど、僕にもわかっている
人はどんなに時間が有っても、やりたいことをやり遂げるなんて永遠にできないことを

 

結局、

Y 君への酒もタバコも、僕が一人でのむことになった

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2026年4月11日
 E.裕次郎  愛する日暮山と白川の袂に眠る

第70夜 別れ

僕は人を見送る時に、まともにお別れの言葉を言えたことが無い。

祖母の時も、父の時もそうだった。

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ここ数日、春を思わせるような陽気だ。
そろそろ家庭菜園の準備をしようと思い、雨ざらしの耕運機を動かした。
推定年齢40歳の小型耕運機は、スターターロープひと引きで目を覚ます。
先日、燃料コックを新品に交換して以来、やたらと調子がいい。
ところが、一度後退して、前進にギヤを入れた途端に動きが止まった。
クラッチを入れ直しても手ごたえがない。
クラッチワイヤーを引っ張ると、ケーブルがずるずると抜け出てきた。
ワイヤー切れだ。

 

近くにイセキの営業所が有るので、早速部品の注文に行く。

「あー欠品です。製造中止ですね。」

 

ずいぶん以前のものだし、仕方がない。
帰ろうかとしたら、年配のスタッフが
「部品を一品から作ってくれるところが有ります。」という。
早速出かけてみた。

 

幹線道路脇に小さな店はあった。
駐車場も狭く、どこが入口かわからないような造りの建物のドアを見つけ出し、中に入る。
様々な工作機械の奥に小部屋があり、3人の職員がいた。
応対に出た年配のお姉さんは、やたらと機械に詳しい。
さすが、世界に誇る日本の中小企業だ。

だが、切れたワイヤーの現物を見て、
「これを作るための部品は手に入りません」という。
かくして、わが愛車イセキKC77Fは廃車の危機を迎えた。
命の終わりは突然にやってくるものらしい。

だが、まだ諦めない。
手元にある自転車やバイクのパーツを流用して、
何とか息を吹きかえさせようと思っている。
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そのパーツ屋からさほど遠くない所に、友人のY君が療養している施設がある。
彼は私より3歳ほど年下だが、一年ほど前に急に倒れ、ALSの診断を受けた。
自宅で年末まで暮らしていたが、いよいよ一人では生活ができなくなり、介護付きの施設へと入所した。
引越しの手伝いも含め、このふた月で3回ほど訪問したが、前回からもう一月ほどが経つ。
ふらりと訪問する事にした。

 

最近できたばかりの5階建ての大きな建物が何棟もあり、300人ほどが入所しているらしい。
彼の部屋は、ナースがすぐに駆け付けられるようにか、一階の中央付近にある。


半開きのドアをノックするが返事がない。
「こんにちは」と中へ入ると、彼は天井を見たまま横になっていた。

「久しぶり。元気?」
 他に、気の利いた挨拶が思いつかなかった。

『・・・・』
 彼は何事かを喋るが、その言葉は弱々しく耳を近づけても聞き取れない。

何回も聞き直して、
『ナースを呼んでくれ』と言っているのが分かった。

若い看護師がすぐに来てくれた。
慣れているのか、彼女はY君のいうことをスムーズに理解できる

痰の吸引などをして、やがて一段落した。

 

二人だけになった部屋で、さて何を話そうかと迷った。
彼の言葉はあまりにも弱々しく、何回も聞き直す必要があった。
先月見舞いに来たときは、スマホを持ち上げることは、もうできなくなっていたが、喋りは達者で表情は明るかった。
その時は二人で、政治の話で盛り上がった。

だが、今日は彼の言葉の半分は聞き取れず、政治の話もなかなか成り立たない。病気は思った以上に早く進行していた。

 

ユーチューブを大画面で見るための設定の話や、書籍の音声朗読の勧めなどもしたが、

『気力がない。最近、急に弱った』と言う。

 

『・・・です』と、彼が私の目を見ていった。
何回か聞きかえして、余命三か月だと分かった。

想像していたとはいえ、つらかった。
何と言葉を返そう。
慰めるべきか、根性で運命にあらがえと励ますべきか・・・


「そうか。僕もあと何年生きるだろう。あと、十年もせずに追いかけていくよ。」
すると彼は薄く笑った。

 

「合唱でね、キリスト教会の礼拝堂で練習したり、演奏会をするんだ。
 高校は○○高校だから毎日朝礼の時、仏様に手を合わせてお祈りをさせられたよ。
 僕は無神論者だったけど、最近は神様はいるんじゃないかと思うようになった。
 僕が何年か後に向こうに行ったら、また一緒に酒を飲みたいね。」

 

「そうだY君、その時は一緒に阿蘇までバイクでツーリングに行こう。
 それまでに免許を取っといてよ」

彼は微笑んだ。

その後、衆議院選挙の残念な結果と、アメリカ政治の混迷の話を少しした。
「民主主義はどうなるんだろうね」
僕のつぶやきに彼は、小さな声で何かをささやいた。

何回も聞きかえして、人名なのが分かった。
初めて聞く名前だったが、民主主義に詳しい日本人の論客らしい。

 

Y君は優秀な人間で、有名大学に進んだが学生運動に傾倒し、大学を中退してしまった。
その後放浪生活を送り、様々な仕事を経て、最後は陶芸家の弟子となった。
四十も過ぎてから故郷に帰り、実家の脇に窯を開いた。
地元でも有名な窯元となり、一昨年まで活躍していたが病に伏してしまった。

 

互いに四十を越してからの付き合いだが、彼とは妙に気が合い、私は彼の工房をよく訪れた。
彼はいつも本を読んでいた。
二人で、政治や哲学の話をよくした。

彼は粘土だらけのテーブルに、小汚いカップを出してコーヒーを淹れてくれた。
足元にはいつも野良猫が寄ってきていた。

 

冷たい隙間風の中、安物の薪ストーブの温もりと、コーヒーの香りが心地よかった。
コーヒーを何杯もお代わりしながら、議論をした日々が懐かしい。


当たり前だったあの日々が、もう帰らないと思うと寂しかった。

 

「もう、帰るね」
私が席を立つと、彼が何か言った。
何か文章を喋るが聞き取れない。
何回も聞き返すうちに、言葉はやがて一つの単語に変わった。

 

『握手』

 

彼は最後のお別れをしようとしている。
少し、目が潤んだ。
でも涙は流したくなかった。

 

「Y君は、沢山のものを残したよ。沢山の作品。何人もの弟子。それは、これからもずーっと残っていくよ」

 

彼の細くはあるが大きな手を、壊れない程度に握りしめながら両手を重ねた。
部屋を出ると、涙が出た。

今日はどうしても、うわべだけの慰めや嘘は言いたくなかった。
僅かだが、本音が言えて少しホッとした。

 

Y君、僕は胃が悪いのに、なかなか酒がやめられない。
十年も待たせないかもしれない。
それまでに免許を取って、僕のためのバイクも用意しておいてくれよ。

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(追記)

もっと、彼といろんなことを話しとけば良かったと思う。

映画の様に、二人で世界をツーリング出来たらどんなに面白いだろうかとも思う。

そして、彼が教えてくれた論客の名前をメモしておかなかったことが悔やまれた。

 

ただ、最後の挨拶も終わったと思い沈んでいた夕刻、彼の姉さんから電話があり、明後日の彼の転院を手伝うことになった。

 

付き合いは、終わりそうで終わらない。

 これが人生かも知れない。

第69夜 雪の日のサンダーバード

数年前の冬、私は未明に自宅を四駆の軽トラで出て阿蘇へと向かった。
熊本の東にある大津町から、外輪山へと延びるミルクロードを走る。
急カーブが幾つも続き、木立の中をくねくねと登っていった。
バイクで走ったら最高のルートだろう。


実際、阿蘇を観光する多くのバイカー達がこの道を通る。
だが、急カーブの何カ所かには、よく花束が置いてある。
カーブを曲がり切れずに自爆したバイカーに捧げられたものだろう。

その正月、この道に雪が降った。
昼に融けたものの、日陰では路面が乾ききれていない。
早朝の出発は、夜の冷え込みの後、道路がどうなっているかを確認するためだった。


車を降りて、カーブの濡れた路面を見た。
かすかなアイスバーンと言えないことも無いが、氷の層は薄い。

足先で擦っても滑るという程ではない。
でも、所によっては少し滑るような、滑らないような・・・
どうにも微妙な感覚だ。


スタッドレスを履いた四駆の軽トラだと安心してカーブも走れたが、2輪駆動の車はどうだろう。
冬季はチェーン規制なので、全車スタッドレスは履いているはずだが・・・
さて、なんと報告したものだろう。


私の報告次第で、この道は通行止めとなる。
そうなれば、通勤者も観光客も大きな影響を受けるだろう。

私は優柔不断な性格だ。
いざという時に決断ができない。
そして下す結論は、いつも他人の顔色を窺うかのような、頼りないものだ。
そしてこの日私が下した決断は、
スタッドレスなら通れるだろう。本日は通行可!」というものだった。


道路を管理する土木事務所に報告を終えると、自宅でゆっくりとコーヒーを飲んでいた。
すると、携帯が鳴った。

「ミルクロードでスタックした車が多数発生し、渋滞ができています。至急、出動願います。」

私の判断は、いつも甘い・・・

会社の同僚と、融雪剤をダンプと軽トラに積んで出発した。

ミルクロードの入り口を、車が入らないように封鎖して登っていく。
外輪山の上部まで来ると、路面には少しではあるが雪が積もっていた。
朝は無かった雪だ。

また、その付近は路面も凍結していた。

 


軽トラで渋滞の列の先頭まで行く。
横向きになったトラックが道を塞ぎ、そのすぐ後ろのバスはスリップして、前にも後ろにも行けない状況だ。
その後には乗用車が十数台並んでいた。
多くの人が困り果てた顔で途方に暮れている。


私は「通れる」と言った自分の判断を後悔した。
結局この日は、さらに数社の応援を頼んでの一大救出作業となった。


融雪剤の散布作業中、私の軽トラは広い作業範囲を往復しながら状況把握をすることになった。
スタックした車の乗客は、ただ待つより他にない。

そして通りかかった私に対する質問は皆同じだった。
「いつ頃、通れる様になりますか?」


鉄道などの交通機関が止まった時、乗客の不満で一番多いのは、「何の案内も無かった」というものだと聞いたことがある。

私は車で巡回しながら、
「作業車が来ました。」       「融雪作業中です」
「あと1時間ほどで開通予定です」と、伝えて回った。
(実際には、開通したのはその二時間以上後だったが・・・)


すると意外なことに、みんなから
「ありがとうございます」と礼を言われた。
救出に努力している作業員への感謝の気持ちなのだろう。


私は二重に申し訳なさを感じた。
元はと言えば、この混乱を招いたのは私だ。
それなのに、誰も不平を言うものがいないばかりか、礼まで言われた。


救助を待つ間、車の乗員たちは様々に過ごしている。
車内で待つ人、作業の様子を見に来る人、若い男性の三人組は外で雪合戦をしていた。

そして、やっと開通して車が走り出し、みんなほっとした笑顔で去っていった。
最後の一台は若者三人が乗る車だった。

三人は私に向けて敬礼をしながら去って行き、私は少し誇らしい気持ちになった。

 

ふと、少年の頃見たテレビ映画を思い出した。
サンダーバード(国際救助隊)」だ。


彼らの格好いいロケットと違って、私の相棒は軽トラだ。
だが今日の愛車は輝いて見えた。

 

youtu.be

(追記)

サンダーバードは武器を持たない。


中学生の頃、社会科の時間に自衛隊について討論をしたことがある。
結局、みんなが出した結論は
自衛隊は武器ではなく救援装備を持ち、全世界の災害救援に行くべし」だった。

日本国内でも、災害発生の際に自衛隊は非常に頼りになる。
もし日本が武器ではなく救難装備を持ち、世界での多数の救援実績を重ねれば、世界の対日感情はとても良くなるだろう。

そして世界中の軍隊がそうなれば、どんなに素晴らしい世界になるだろうか。

ふとそんなことを思った。

第68夜 人を愛すること

未明、久しぶりに朝から雨が降った。
雷鳴と窓を打つ雨音を聞きながら、夢を見た。

雨の降る田舎道の軒先で、私はメグミさんともう一人の女性と3人で話をしている。
用件がすんで女性は去り、メグミさんと私も分かれようかという時になって、私は迷った。
メグミさんがこの後死んでしまうことは分かっている。
彼女に何と声をかけようか。
何の言葉かけも無しに永遠に別れることが辛かった。

すると彼女が「同級生がやっているお店が有るんだけど、お茶でも飲みませんか」と言った。
良く見ると、民家だとばかり思っていた目の前の家は、古民家を改装したカフェだった。
二人で店内に入ると、古い日本家屋の壁は地中海風に白い漆喰で塗られ、床には洒落たレンガが敷きつめられている。

この白壁はジョンが古民家を買った時、ジョンと二人で塗った漆喰と同じだ。


いつの間にか私の脇に、アメリカにいるはずのジョンが立っていた。
三人で奥へと進む。
久しぶりに楽しい会話ができそうだ。


そこで目が覚めた。


まだ、外は暗い。
だが寝る気にはなれなかった。
雨音を聞いていると、昔の事ばかり思いだす。


先月、仲の良かった近所の先輩が急死した。
彼は私より一歳上で、まだまだ働き盛りだった。
酷暑の現場作業を終え、繁華街で楽しく飲んでいる最中の事だったらしい。
本人にとっては幸せな死に方かもしれないが、突然の死は周囲に大きな喪失感を残す。


昨日は、メグミさんと仲の良かった友人から久々にメールが来た。
彼女とメグミさん、そしてもう一人を含めた3人は三姉妹を名乗るほどに仲が良かった。

だが、末っ子のメグミさんを失い寂しくなってしまった。
命日も近い今月、みんなで初めて墓参りに行こうという事になった。


メグミさんの娘さんは、もう小学3年生になったろうか。
我が家に遊びに来る孫娘が同じ年頃だ。
孫を見ていると、「この子の幸せのためなら死ねる」と無条件に思う。
そして、メグミさんの娘さんの事を想像する。

もの心ついた時から、母のいない人生を送ることになった彼女の気持ちを思うと辛い。
「なぜ、この子を残して」と思う。

 

しかし、私にはメグミさんの死を止めることはできなかった。


死の半年前に、久々に彼女から年賀状が来た。

だが筆無精の私は返事を出さなかった。


「もし、年賀状の返事を出していたら」と悔やむことがある。
そして、これまで自分が経験してきた、人との様々なすれ違いを思い起こす。


人生は人との交わりとすれ違い、そして後悔の積み重ねかも知れない。
そしてその無念は、人とのつながりを信じることでしか癒されない。


もし、娘さんに会うことができたら、お母さんの思い出をいっぱい話してあげたい。
どんなに素晴らしい人だったか、どんなにあなたを愛していたか。
そして、今もきっとあなたを見守り続けている事を。

 


激しい雨も落ち着き、かすかな遠雷の音を聞きながら、幼子の幸せを祈った。

 

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第67夜 正しいことを言ってはいけない世の中

気が重くなるニュースを聞いた。
SNSで「外国人差別反対」を訴えた鶴ヶ島市の市議会議員に、殺害予告が届いた。
市庁舎の爆破予告もあったらしい。

このような暴力に対して立ち向かうならば、市議会は「暴力に負けず戦う」という宣言をすべきだろう。
だが市議会は逆に、「差別反対」を訴える議員に対して、「市議の肩書きで差別反対を訴えないように」と議会で決議した。
同時に、子どもに議会の大切さを教える行事「子ども議会」も、安全のためとして中止した。
暴力・脅迫に負けて、正義を訴える側を黙らせようとしている。

 

未来を支える子ども達はこの事から何を学び、どんな大人になるだろう。

 

差別や暴力の最大のものは戦争だ。

明日は広島の原爆から80年。

あの時代と、あまり変わっていないのかも知れない。

 

家族の安全を願い、日本が幸せな国になることを願いながら死地に向かった兵士達の死を、私達は無駄にしてはいないだろうか。

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第66夜 慰霊のために(もの言う生者)

道に迷いながらやっと辿り着いたお寺は、住宅街の中にあった。
すでに夕刻だったが、日射しはまだ熱を持っている。
だが菩薩像は、優しい木陰に包まれ、5月に作られたばかりの新しい祠に涼しげに納まっていた。

お寺の方に挨拶をして、まずは菩薩像にお参りをした。
観音菩薩とばかり思っていたが、像は普賢菩薩だった。

不信心な私は、神社やお寺の参拝でもあまり真剣に祈ることはない。
だが今日ばかりは何か胸に迫るものがあり、目元が涙で滲んだ。
若くして亡くなった者達が、哀れでならない。

 

心配していた「顕彰碑」の文字はどこにも見当たらなかった。
菩薩像の他にあるのは、義烈空挺隊の説明板と、菩薩像建立に至る流れの説明板だけだ。
あくまでも慰霊のための施設に見えた。
英霊達がゆっくりと休める様に思えて、嬉しかった。

「顕彰」の言葉は、式典の際のインタビューで一部の参加者が発言しただけなのかも知れない。

 

だが、改めて戦争被災・平和に関する施設の有り様を考えさせられた。

これまでいくつかの戦争・平和に関する施設を見てきた。
その展示の多くは、戦争の悲惨さを伝え胸を打つものだった。
だがその中には、「これは慰霊では無くて、戦争賛美では無いか?」と思えるようなものもあった。

特攻隊を例にとっても、兵士の苦悩や遺族の悲しみに焦点を当てるのか、「国」を守ろうとする愛国精神を強調するかで、展示の意味は大きく変わる。

 

「昔は良かった。美しい日本を取り戻そう」
良く聞く言葉だ。
しかし、昔の何が「良くて」何が「悪かった」のか、きちんと結論付けている資料館はあまり無い。

「戦争は悲惨だった」とは誰もが知っており、展示でも強調される。
だが、その戦争はなぜ引き起こされたのかを説明するものは少ない。


それは、今もなお少なからず存在する復古的勢力に、展示する側が配慮しているためかも知れない。
その意味では、ナチスの行為をはっきりと断罪する、ドイツの戦争資料館には劣る。


今回の参拝は、「顕彰」の言葉に不安を感じてのものだったが、今後自分が何を行っていくべきかを確認する良い機会となった。

もの言わぬ死者に代わって私達がものを言うことが慰霊であり、未来に生きる子ども達への責任だと改めて思った。

 

外国人排斥のための政治的デマすら蔓延する今、異質な者は「非国民」として攻撃される時代が、再びやってくるかもしれない。

まだ今なら、多少は自由にものを言う事ができる。

note.com


(追記)

共感した動画があったので、上記に紹介しました。

ものが言えない社会ができる手順は、いつの世も同じ様です。

しかし、この政党だけが危険ではないでしょう。
同じような政治勢力は幾つもあります。

第65夜 また来る夏(もの言わぬ死者達)

特攻に行く前日、二人の兵隊が世話になったおばさんの所へ挨拶に来た。
一人の兵隊が、ぽつりと言った。
「(特攻に)行きたくないなあ・・・」


先日、テレビで放映された番組での1コマだ。
きっと僕も同じ言葉を呟くだろう。
そして、ほとんどの特攻兵は同じ気持ちを持っていたのではないかと思う。


夏になると、いつも思う。
過ちを二度と繰り返してはいけない。


先日(7月21日)、義烈空挺隊の特集を熊本の放送局(KKT)が放映していた。

番組では、義烈空挺隊は熊本の健軍飛行場から沖縄へ飛び立った「特攻隊」として紹介してあった。


特攻隊の定義を狭く解釈すれば、義烈空挺隊は「特攻隊」では無い。
空挺隊は、沖縄の米軍への破壊工作を任務としており、死ぬことは命じられていない。
だが、敵の飛行場に胴体着陸をして破壊工作をするという作戦は、事実上の「特攻」でもある。

番組では隊員達が通った銭湯の女主人や家族との交流が紹介され、隊員達が生前に寄付した資金を元に、慰霊のための観音像が戦後に建立されたことが紹介された。
観音像は長らく銭湯の敷地内にあったが、銭湯の閉店に伴い、ゆかりのある寺(浄圓寺)の敷地に移設された。

移設には全国から浄財が集まり、これを機に空挺隊遺族や女主人の子孫たちとの交流が深まった。
無念の死を遂げた若い隊員達も、喜んでいるかも知れない。


だが・・・
番組を見て、気になった点がいくつかある。
観音像は「顕彰碑」として移設された。

顕彰とは、隠れている「良いこと」を明らかにし、「他の人もやりましょう」と勧めることだ。
隊員達は「良いこと」をしたのだろうか。
彼らの大半は特攻などしたくなかったはずだ。
もし顕彰するならば、それは特攻を考え出した人間だろう。
特攻を命じた人間こそ、「顕彰碑」を建立して末長く記憶されるべきだろう。
無念の死を遂げた隊員達は、安らかに眠らせてあげたい。


また、移設の式典で挨拶をした人物の言葉も気になった。
彼は「今後、日本国民の意識啓蒙に努める」と言った。
啓蒙とは、「無知の人を啓発して、正しい知識に導くこと」だ。
今の日本国民は「特攻の精神」を忘れた無知な人間ばかりなのだろうか。

 

何が「正しい」のだろう。

特攻に行くことが正しいのか。
「行きたくない」と本音を言うことが正しいのか。


今後「啓蒙」は、どのように行われるのだろう。


同じ問いは、私にも向けられる。


明日、私は浄圓寺の「慰霊碑」に参拝しようと思う。

英霊達に祈り・・・
そして・・・
私は何をすべきだろう。

www.youtube.com

曲名:カヴァティー

(映画ディア・ハンターのテーマ)