ノスタルジー千夜一夜

失敗と後悔と懺悔の記録(草野徹平日記)

2024-01-01から1年間の記事一覧

第61夜 最後の警備員・・・学校が「家族」だった頃

最後の晩は、宿直室で寝袋にくるまりながら寝た。明日からOさんがいなくなるかと思うと、淋しかった。 ───────────── (写真素材提供 photoAC) Oさんに限らず、警備員さんにはいつもお世話になった。初任の養護学校(特別支援学校)で、私は勤務後もよく学…

別冊㉒(教育編)学校の怪談・・・一番恐ろしいものは

40代後半から勤務した学校には、不思議な出来事があった。狭い敷地のため、陸上部、野球部、サッカー部がグランドを共用していたが、なぜかいつも野球場のセカンドベース付近で怪我人が出るのだ。 野球部の監督が、私に教えてくれたことがあった。「この学…

第60夜 10円のアイスキャンデー(幼い日の母との思い出)

(写真素材 PAKUTASOより) 今日も暑い。今年は殺人的な酷暑が続き、冷たいものが欲しくなる。アイスを食べようと冷蔵庫を見たが、欲しかったバニラは見当たらず、固いスティックアイスが数本入っていた。ふと、隣に住む母の事を思い出した。 88歳の母は、…

第59夜 コーヒー (癒やしの香り)

教員の仕事は精神労働だ。人間相手の仕事はストレスも溜まる。そしてそのストレスは、人との繋がりでしか癒やされない。コーヒーは人と人の繋がりをいつも作ってくれた。 40代前半の頃、私は社会教育担当になり学校の外での夜間勤務が多くなった。職員朝礼後…

第58夜 果たせぬ夢・イギリス (Dream CB250)

「草野、イギリスだ。イギリスへ行こう!」Yの提案はあまりにも唐突だった。 --------------- 1977年春、成績劣等の私は留年の瀬戸際だったが、「追試験」の末にどうにか進級した。 しかし進級はしたものの、世の中の動きは芳しくなかっ…

別冊㉑(バイク編)TZR250-1KT・・・恐怖のオークション

先日、片言の日本語を話す中国人らしい男女が、我が家を訪ねてきた。 「あそこにあるバイクを売ってもらえませんか?」軒下に並ぶ4・5台のバイクを指して言う。一瞬迷ったが、バイクをこのまま我が家に置いておいても可哀想だと思い、2台だけを売ることに…

第57夜 別れの歌・・・退任式をぶち壊せ

悲しみは 数え切れないけれど その向こうできっと あなたに会える繰り返す過ちの そのたび 人はただ青い空の 青さを知る果てしなく 道は続いて見えるけれどこの両手は 光を抱ける 海の彼方には もう探さない輝くものは いつもここに私の中に 見つけられたか…

第56夜 おせっかいなAI

バイク好きの友人が、愛車TZR250の改造にはまった。ライディングポジションがしっくりこなかったので、シートとステップをレーサー(TZ250)のものに代えた。スピードを上げようと、エンジンをチューンナップしてパワーを上げた。そしたら、足回りがエンジン…

第55夜 chatGPT・ロボットは、神か悪魔か友人か

20XX年、世界の全てのスーパーコンピュータが初めて連結された。全世界のマスコミが注目する中、開発した研究者はコンピュータに質問を投げかけた。それは、今までのどんなコンピュータも答えることができなかった難問だ。 「神は存在しますか?」しばらく…

別冊⑳(恋愛編) 恋のABC・・・自分の殻を破れ

自分を変えたい、新しい自分に生まれ変わりたいと思う事がよくある。 勇気を奮って一歩踏み出してはみるが、付け焼刃ではなかなかうまくいかない・・・ 大学1年の春、講義室で学科の友人達が「合ハイ」の話をしていた。昨今の「合コン」と違って、当時は合…

第54夜 ラグリマ(涙)・・・ギターとバイクの思い出

二学期の終業式の日だったろうか。生徒たちも帰宅して、久々にほっとした雰囲気が職員室に流れた。すきま風の吹き込む職員室で、私を含めた何人かの職員が、ストーブの周りでお茶を飲みながら話をしていた。すると一人が、「そうだKさん、ギターを弾いてよ」と…

第53夜 幸せな「夢」・・・勇気を振り絞って

赤いスーツを着た女性は、ステージ端に立ち報告を始めた。私は仕事で会場の設営に来ただけなのだが、仕方なくホール最前列の隅に座った。彼女は事件について報告し、「何らかの対処をしなければならない!」と強く訴えた。「意見を願います!」と再度呼びか…

別冊⑲(音楽編) ボーン神父(二つの生き方)

1978年1月、聖堂の中は寒かった。しかも、普段ですら多いとは言えない聴衆が、今日はことのほか少ない。7~8人ほどだろうか。広い聖堂がいよいよ寒々と感じられた。 つい二週間前には、ここでクリスマスミサが開かれたばかりだ。当日は沢山の参加者で…

別冊⑱(音楽編) 深夜のオルガン(二十歳の頃)

バイトが終わるのはいつも夜の12時過ぎだった。ボーイ用の蝶ネクタイを外し、ワイシャツの上にジャンパーを着ると、そのまま店の外にあるバイクにまたがった。 深夜にもかかわらずネオン街は明るく、酔客の喧噪に溢れている。店からバイクで15分も走れば…

第52夜 善と偽善の間で・・・ジャーニー氏、高須氏、私(ついでに指原さん)

先日、高須クリニック院長の高須氏が自家用ヘリに救援物資を積み込み、石川の被災地を訪問したとの書き込みを見た。彼は「今は被災地に行く時ではない。行くならば、衣食住の一切で自立して、現地の足を引っ張らない様にしろ」 と言っている。その言葉は至極当…

第51夜 行動する偽善者(被災地へ)・・・不真面目ボランティアの勧め

テレビ画面に映る能登の被災風景は、過去に何度も見た辛い景色だ。倒壊した家屋、津波に打ち上げられた車、行列に並ぶ被災者・・・それは大船渡や人吉の被災地で見た、そして熊本地震に見舞われた自分の街で体験した風景そのものだ。 (画像:NHKニュースよ…

別冊⑰(音楽編)「先生」・・・アルハンブラの思い出

大学2年の夏、私はナイトクラブでボーイのバイトを始めた。店は広島市の繁華街にある会員制の高級クラブで、ロングドレスを着た数名のホステスとマスター、そしてボーイが数名だけの落ち着いた雰囲気の店だった。室内には東郷青児の絵が何枚も飾ってあった…