ノスタルジー千夜一夜

失敗と後悔と懺悔の記録(草野徹平日記)

第59夜 コーヒー (癒やしの香り)

教員の仕事は精神労働だ。
人間相手の仕事はストレスも溜まる。
そしてそのストレスは、人との繋がりでしか癒やされない。
コーヒーは人と人の繋がりをいつも作ってくれた。

40代前半の頃、私は社会教育担当になり学校の外での夜間勤務が多くなった。
職員朝礼後、ほとんどの教員は担任クラスのホームルームに出かけるが、深夜勤務の多い私は睡眠不足の頭を覚まそうと、職場に持ち込んだコーヒー豆をミルで挽くのが日課だった。
コーヒーの豊かな香りに包まれると、いつもほっとした。


コーヒーを飲みながら新聞を読んでいると、ホームルームから戻ってきた職員で部屋は慌ただしくなる。
だが、一時間目に授業の無い教員は
「良い香りですね」と私に声をかけてきた。
私は希望者にコーヒーを振る舞うようになった。


コーヒーを飲みながら、いろんな話をした。
今朝の生徒の様子、仕事の悩み、くだらない雑談。
わずか10分ほどの時間だが、互いに話をすることで気持ちが和らいだ。
そのうちに常連も増え、湯沸かし器の付近は毎朝ミニサロンとなった。

誰もが繋がりを求めていた。

 

熊本市郊外に「Calmest Coffee Shop(カーメスト コーヒーショップ)」という店がある。
自分の店を開くはずだったバリスタが若くして事故で亡くなり、彼の夢を実現しようと、彼の両親が開いた店だ。
残念ながら、私自身はまだ訪れたことは無い。
亡くなった子を思う両親の生き様や、同様に子を亡くした人達が癒やしを求めて店を訪れる様子をテレビで見ただけだ。
コーヒーが人と人を結びつける様子を見て共感した。
いつかは訪れてみたいと思っている。

 

私がコーヒーを初めて飲んだのは、小学校低学年の時だ。
近所の店で、角砂糖2個と一人分のインスタントコーヒーが入ったものを、10円くらいで売っていた。
パッケージには「世界一」と書いてあったのを憶えている。
商品名だったのだろうか。
お湯を入れてかき混ぜても粉はなかなか溶けず、いつもカップの底に残った。
今にして思えば、原材料がコーヒー豆だったか怪しいものだ。
しかし、それでも「おいしい」と思った。
多分砂糖の甘みがうまかったのだと思う。


学生の頃は豆にこだわった。
金のない私は、モカ、キリマン、ブラジル等をいつも50gだけ買った。
たまにブルーマウンテンを飲むと、そのうまさに感動した。

街中には喫茶店が数多く有り、喫茶店を開く事は当時の若者の夢だった。
だが、私には喫茶店について苦い思い出がある。


学生時代、近隣の女子大生も参加してのコンパで深酒をし、気が大きくなった私はみんなを誘って近くの喫茶店に大人数で繰り込んだ。
だが、この後の記憶が無い。
断片的に残る記憶では、コーヒーを飲んで急に吐き気がした事、洗面台に吐いて店員に怒られた事、大便器にしがみついて吐き続けた事・・・


翌朝下宿で目覚めた時には、服も布団もゲロまみれだった。
私を下宿へ担ぎ込んでくれた後輩の話によれば、うるさいくらいの声で喋っていた私が急に黙り込み、突然大量のゲロを目の前に座っていた女の子達に吐きかけたらしい。

私は、それを聞いて気が遠くなった。
その中には私が密かに心を寄せていた女の子もいた。
後日、詫びの電話を入れたが、完全に嫌われてしまった。


そして落ち込んだ私を慰めてくれたのも、コーヒーの香りだった。

我が家には特別なカップがある。
以前、親しかった人から貰ったものだ。
この数十年もの間、職場でコーヒーを飲む時にはいつもこれで飲んだ。
華奢なカップだが、物持ちの悪い私にしては珍しく壊す事も無く形をとどめている。


退職して以降は、たまにしか使わないようになった。
壊すのが怖くなったからかも知れない。
それでもゆっくりと香りを楽しみたい時は、このカップを使う。


ゆっくりと豆を挽き、ドリッパーとカップを暖める。
粉の中心に、少しずつ、少しずつ、お湯を注いでいく。


人生残り少なくはなったが、コーヒーを飲む時だけは贅沢に時間を楽しみたい。

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(追記)

コーヒーとタバコは縁が切れない。

そしてこの両者は、ジャズ喫茶を連想させる。.

暗い照明の店内にはいつも紫煙がたなびいており、客がいても会話はほとんど聞こえなかった。

 

当時の私は、ジャズに興味は無かった。

だが最近、ジャズが妙に心に染みる。

歳をとったのだろうか。

(追記2)

好きな曲「Take5」をネットで検索して、上記の動画を見つけた。

デイブ・ブルーベックの名前は知らなかったが、その経歴を見て彼の生き方に共感した。

黒人差別のまだ強かった時代に、バンド仲間の黒人ベース奏者を守るために彼らは戦った。

それでも、まだこの時代のカメラマンは、ベース奏者ができるだけ映らないように撮影している。

周りが全てそんな環境の中に戦い、社会を変えていった彼らを尊敬する。

 

それに比して、日本社会の現状は淋しい。

「芸能人は政治に口を出すな」といったことがいまだに言われる。

安部政治の腐敗や暴走を批判した、小泉今日子、吉川晃司、浅野忠信ラサール石井井浦新西郷輝彦宮本亜門・・・

仕事に悪影響がある事を覚悟で、自分が正しいと思う事を貫く姿に勇気づけられる。