ノスタルジー千夜一夜

失敗と後悔と懺悔の記録(草野徹平日記)

第61夜 最後の警備員・・・学校が「家族」だった頃

最後の晩は、宿直室で寝袋にくるまりながら寝た。明日からOさんがいなくなるかと思うと、淋しかった。 ───────────── (写真素材提供 photoAC) Oさんに限らず、警備員さんにはいつもお世話になった。初任の養護学校(特別支援学校)で、私は勤務後もよく学…

別冊㉒(教育編)学校の怪談・・・一番恐ろしいものは

40代後半から勤務した学校には、不思議な出来事があった。狭い敷地のため、陸上部、野球部、サッカー部がグランドを共用していたが、なぜかいつも野球場のセカンドベース付近で怪我人が出るのだ。 野球部の監督が、私に教えてくれたことがあった。「この学…

第60夜 10円のアイスキャンデー(幼い日の母との思い出)

(写真素材 PAKUTASOより) 今日も暑い。今年は殺人的な酷暑が続き、冷たいものが欲しくなる。アイスを食べようと冷蔵庫を見たが、欲しかったバニラは見当たらず、固いスティックアイスが数本入っていた。ふと、隣に住む母の事を思い出した。 88歳の母は、…

第59夜 コーヒー (癒やしの香り)

教員の仕事は精神労働だ。人間相手の仕事はストレスも溜まる。そしてそのストレスは、人との繋がりでしか癒やされない。コーヒーは人と人の繋がりをいつも作ってくれた。 40代前半の頃、私は社会教育担当になり学校の外での夜間勤務が多くなった。職員朝礼後…

第58夜 果たせぬ夢・イギリス (Dream CB250)

「草野、イギリスだ。イギリスへ行こう!」Yの提案はあまりにも唐突だった。 --------------- 1977年春、成績劣等の私は留年の瀬戸際だったが、「追試験」の末にどうにか進級した。 しかし進級はしたものの、世の中の動きは芳しくなかっ…

別冊㉑(バイク編)TZR250-1KT・・・恐怖のオークション

先日、片言の日本語を話す中国人らしい男女が、我が家を訪ねてきた。 「あそこにあるバイクを売ってもらえませんか?」軒下に並ぶ4・5台のバイクを指して言う。一瞬迷ったが、バイクをこのまま我が家に置いておいても可哀想だと思い、2台だけを売ることに…

第57夜 別れの歌・・・退任式をぶち壊せ

悲しみは 数え切れないけれど その向こうできっと あなたに会える繰り返す過ちの そのたび 人はただ青い空の 青さを知る果てしなく 道は続いて見えるけれどこの両手は 光を抱ける 海の彼方には もう探さない輝くものは いつもここに私の中に 見つけられたか…

第56夜 おせっかいなAI

バイク好きの友人が、愛車TZR250の改造にはまった。ライディングポジションがしっくりこなかったので、シートとステップをレーサー(TZ250)のものに代えた。スピードを上げようと、エンジンをチューンナップしてパワーを上げた。そしたら、足回りがエンジン…

第55夜 chatGPT・ロボットは、神か悪魔か友人か

20XX年、世界の全てのスーパーコンピュータが初めて連結された。全世界のマスコミが注目する中、開発した研究者はコンピュータに質問を投げかけた。それは、今までのどんなコンピュータも答えることができなかった難問だ。 「神は存在しますか?」しばらく…

別冊⑳(恋愛編) 恋のABC・・・自分の殻を破れ

自分を変えたい、新しい自分に生まれ変わりたいと思う事がよくある。 勇気を奮って一歩踏み出してはみるが、付け焼刃ではなかなかうまくいかない・・・ 大学1年の春、講義室で学科の友人達が「合ハイ」の話をしていた。昨今の「合コン」と違って、当時は合…

第54夜 ラグリマ(涙)・・・ギターとバイクの思い出

二学期の終業式の日だったろうか。生徒たちも帰宅して、久々にほっとした雰囲気が職員室に流れた。すきま風の吹き込む職員室で、私を含めた何人かの職員が、ストーブの周りでお茶を飲みながら話をしていた。すると一人が、「そうだKさん、ギターを弾いてよ」と…

第53夜 幸せな「夢」・・・勇気を振り絞って

赤いスーツを着た女性は、ステージ端に立ち報告を始めた。私は仕事で会場の設営に来ただけなのだが、仕方なくホール最前列の隅に座った。彼女は事件について報告し、「何らかの対処をしなければならない!」と強く訴えた。「意見を願います!」と再度呼びか…

別冊⑲(音楽編) ボーン神父(二つの生き方)

1978年1月、聖堂の中は寒かった。しかも、普段ですら多いとは言えない聴衆が、今日はことのほか少ない。7~8人ほどだろうか。広い聖堂がいよいよ寒々と感じられた。 つい二週間前には、ここでクリスマスミサが開かれたばかりだ。当日は沢山の参加者で…

別冊⑱(音楽編) 深夜のオルガン(二十歳の頃)

バイトが終わるのはいつも夜の12時過ぎだった。ボーイ用の蝶ネクタイを外し、ワイシャツの上にジャンパーを着ると、そのまま店の外にあるバイクにまたがった。 深夜にもかかわらずネオン街は明るく、酔客の喧噪に溢れている。店からバイクで15分も走れば…

第52夜 善と偽善の間で・・・ジャーニー氏、高須氏、私(ついでに指原さん)

先日、高須クリニック院長の高須氏が自家用ヘリに救援物資を積み込み、石川の被災地を訪問したとの書き込みを見た。彼は「今は被災地に行く時ではない。行くならば、衣食住の一切で自立して、現地の足を引っ張らない様にしろ」 と言っている。その言葉は至極当…

第51夜 行動する偽善者(被災地へ)・・・不真面目ボランティアの勧め

テレビ画面に映る能登の被災風景は、過去に何度も見た辛い景色だ。倒壊した家屋、津波に打ち上げられた車、行列に並ぶ被災者・・・それは大船渡や人吉の被災地で見た、そして熊本地震に見舞われた自分の街で体験した風景そのものだ。 (画像:NHKニュースよ…

別冊⑰(音楽編)「先生」・・・アルハンブラの思い出

大学2年の夏、私はナイトクラブでボーイのバイトを始めた。店は広島市の繁華街にある会員制の高級クラブで、ロングドレスを着た数名のホステスとマスター、そしてボーイが数名だけの落ち着いた雰囲気の店だった。室内には東郷青児の絵が何枚も飾ってあった…

第50夜 さようならSL

今日、18年ぶりに会った。そして、これが故郷で見る最後の姿となった。ホームを出発する汽車は、細く長く汽笛を鳴らして出て行った。まるで泣いているかのようだ。・・・・・・・・・・・・・ 高校時代、毎朝「一番汽車」で通った。当時すでに蒸気機関車(SL…

別冊⑯(家族編)父のくれた手袋

父は数年前に亡くなった。酒好きだった父のために仏壇に酒を供え、父といろんな話をする。 生前、父と私は会話の少ない親子だった。 亡くなってからの方が、会話が増えたかも知れない。今、とても父に会いたい。 ・・・・・・・・・・・・・ 「寒うなかか?…

別冊⑮(青春編)ヒーローへの憧れ・・・永遠の少年、両津勘吉

鉄人28号、鉄腕アトム、エイトマン、ビッグX、サイボーグ009・・・小学生の頃、私はアニメや漫画に夢中だった。当時はキング、サンデー、マガジンなどの漫画週刊誌が相次いで創刊された頃で、定価60円位だったろうか。菓子パンが30円くらいの時代に60円は…

別冊⑭(平和運動編)平和をどう作るか・・・知覧にて

特攻平和会館の展示物は、戦争の悲惨さを語るのか、それとも悲劇の英雄たちを称賛するのか、それを確かめたくて10年ぶりに知覧を訪れた。 ・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・ 「軍備増強を!」 「敵基地への先制攻撃を!」ウクライナ侵攻以降、勇まし…

別冊⑬(平和運動編)知覧特攻平和会館での疑問・・・英霊達の憂い

あんまり緑が美しい。今日これから死にいくことすら忘れてしまいそうだ。真青な空 ぽかんと浮かぶ白い雲 6月の知覧はもうセミの声がして夏を思わせる。・・・・・・・・・・・・・・・・・ 先の文章は、22歳で特攻に飛び立った兵士が残した文章だ。初めて…

第49夜 花の下にて春死なん(理想の死に方を求めて)

五木の子守歌の後半の歌詞は、野垂れ死にの歌だ。それは私の望む死に方でもある。------------ おどんが うっちんねえば 道ばちゃ いけろ通る人ごち 花あぎゅい (私が死んだら 道端に埋めろ) (通る人ごとに 花を供えるだろう) 親父はこの歌…

第48夜 被爆の日に②・その後の少年達

(ジョー・オダネル氏撮影) 少年は涙を見せなかった。彼は泣かないほど、強かったのだろうか。それとも泣けないほど、多くのものを抱えていたのだろうか。 いろんな事を想像する。「家」に戻れば瀕死の家族がいて、泣いてる余裕もなく看病をしなければなら…

第47夜 被爆の日に①・戦場の子ども達

(山端庸介氏撮影) 何歳だろう。3,4歳くらいだろうか?顔中に傷を作り、防空ずきんの下には包帯のようなものも見える。大切なおにぎりを手に、無表情にカメラを見つめている。この幼い目は、被爆の地でどんな景色を見てきたのだろう。 80年代、被爆記録…

第46夜 2011年・被災地(東北)にて②・・・ボランティアの意味

被災地へ支援に行ったつもりだったのに、私は被災者に励まされて現地を発った。---------------- 最終日の作業はアパート室内の清掃だ。2階建ての建物はそんなに丈夫そうには見えないが、津波に見舞われながらもしっかりと建っていた。屋内…

第45夜 2011年・被災地(東北)にて①・・・悩み

宿舎に到着した晩、言われた言葉に自分を恥じた。「物見遊山で被災地に来ても構いません。現地に行けば、必ず『何かしたい』という気持になります」---------------- 今日の現場は前日に続いて、津波で浸水した家屋の泥出しだった。民家の庭…

別冊⑫(災害編)東日本大震災・・・孤独

2011年3月11日真っ黒な津波が、田園風景を吞み込みながら進んでいく。これまで確信していた「平和」が壊れた瞬間だった。・・・・・・・・・・・・・・・・・ 4月下旬、その日の仕事は、大船渡市中心部の高台にある仮設住宅への支援物資の配達だった。各戸の…

第44夜 ビートルズの謎・・・アオナ ホー ヨー へー

昔、厚みがペラペラのフォノシート(レコード)があった。当時は、雑誌の通販で一枚100円以下で売っていたような記憶がある。・・・・・・・・・・・・・・・ 小学生の頃、我が家にはレコードプレーヤーが無かった。近所のお姉さんの家には有ったので、お姉さ…

別冊⑪(教育編)でもしか教師・・・教育におけるヤブ医者

教師は「医者で易者で役者でなければならない」と教わった。 人の課題を見抜き、進むべき道を示して励ませと言う意味だろう。 だが私はヤブ医者で、当たらぬ易者だった。 ・・・・・・・・・・・・・・・ 呼ばれて校長室に入ると、教頭が一人ソファーに座っ…