ノスタルジー千夜一夜

失敗と後悔と懺悔の記録(草野徹平日記)

第49夜 花の下にて春死なん(理想の死に方を求めて)

五木の子守歌の後半の歌詞は、野垂れ死にの歌だ。
それは私の望む死に方でもある。
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おどんが うっちんねえば 道ばちゃ いけろ
通る人ごち 花あぎゅい
 (私が死んだら 道端に埋めろ)
 (通る人ごとに 花を供えるだろう)

 

親父はこの歌が好きだった。
村の夏祭りでは、「正調五木の子守歌」と前置きして、あまり聴かないメロディーで歌ってた。
そんな父を私は在宅で看取らずに、病室で死なせたことを悔いている。
それは、子守歌同様の野垂れ死にと言えなくも無い。

 

闘病末期、父の細った腕にも足にも、もはや点滴の針はなかなか入らなかった。
医者に「どうしますか?」と尋ねられた。
「帰って、家族に相談します」と私は言ったが、すぐに訂正した。
「もう、点滴は結構です」

 

死に直結する点滴中止の辛い判断を、あえて家族に求める必要は無いと思った。
私一
人で、父の死を決めた。
そのこと自体は仕方の無いことと思っている。

後悔するのは、点滴中止と同時に家に連れ帰らなかった事だ。
更に言えば、もっと早い段階で家に連れ帰れば良かったと思う。
ホスピスなど別な選択もあっただろう。
だが、最後まで「治る、治せる」と思っていた。
自宅に連れ帰れば、高齢の母にも家族にも負担をかけるし、私自身も毎日過労死基準超えの残業で看病はできなかった。
こうして父を送った。

 

そして、やがて私の番がやってくる。
どうやって死のう。
看病で子どもに迷惑をかけたくはない。
チューブとケーブルをつながれて、何日も寝たままなのも嫌だ。
しかも看護師が時々、拷問にも等しい痰の吸引にやってくる。
病院は辛そうだ。

 

「願わくば 花の下にて 春死なん その如月の 望月の頃」
それが理想なのだが、現実には無理だ。
幾つか条件を外すしか無い。

春と2月と満月にはこだわらない。
花は何か咲いてるだろう。
結局残るのは、点滴に縛られず一人で死ぬこと。
野垂れ死にだ。


悪い死に方では無い。
どうせ人は一人裸で生まれ、裸で死んでいくんだ。
しかも病院と違い、酒を飲みながらというオプションも選べる。
私が回復の見込みの無い病気で入院したら、こっそり病院を抜け出して、酒瓶片手に旅に出たい。
自然の美しい場所を見つけ、風景を眺めながら息を引き取りたい。

 

数日前からコロナになった。
初めての感染だったが、ワクチンを打っていたおかげか、2-3日苦しんだだけでもう回復した。
5日目になるが、家庭内感染防止のため、まだ自室軟禁生活を送っている。
症状も多少辛かったが、夏場に風呂に入れないのが一番辛い。

まてよ、野垂れ死にする時に風呂は入れるのかな・・・
それに雨や雪が降っていたら嫌だ。

でも夏は暑そうだなあ。
やっぱり春か秋の天気のいい日に・・・

 

結構条件は限られてくる。
うーん・・・

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(追記)
上記ビデオに出てくる、昔のつましい生活風景を見てると、懐かしく幸せな気持ちになる。
昔の自分や家族と同じだと思うからだ。
それは単に昔だから、貧しいからというのでは無い。
昔の自分や家族が、貧しいながらも必死に助け合いながら生きていたからだと思う。
その必死さが、切なく愛おしく思い出される。