ノスタルジー千夜一夜

失敗と後悔と懺悔の記録(草野徹平日記)

別冊⑲(音楽編) ボーン神父(二つの生き方)

1978年1月、聖堂の中は寒かった。
しかも、普段ですら多いとは言えない聴衆が、今日はことのほか少ない。
7~8人ほどだろうか。
広い聖堂がいよいよ寒々と感じられた。

 

つい二週間前には、ここでクリスマスミサが開かれたばかりだ。
当日は沢山の参加者で聖堂は溢れていた。
信者でもないのに勝手に紛れ込んだ私の前で、ベールを被った多くの信者が祈りを捧げていた。
だが、目当てだったパイプオルガンの出番はほとんど無く、オルガンを聴きに来ただけの私は、早々に退散した。

 

それから間もない新年早々の演奏会でもあり、正月はいつも聴衆が少ないのかもしれない。
だが定刻になっても演奏は始まらず、今日は中止だろうかと心配していると、二階の演奏席から何やら声がした。
よく聞き取れなかったが、どうやら上がって来いと言っているようだ。
私を含めた聴衆は二階へと続く階段を上がった。

Copyright © カトリック幟町教会 世界平和記念聖堂 All Rights Reserved.

二階には演奏者のボーン神父がいた。       
彼をこんなに間近で見たのは初めてだ。
一年ほど前、パイプオルガンの無料演奏会が、ここ「広島世界平和記念聖堂」で毎月開かれていると友人から教えてもらい、それ以来私は欠かさず聴きに来ていた。
しかし二階席の演奏者の姿は普段ほとんど見えず、ガリ版刷りのパンフレットで彼の名前を見るだけだ。
彼は穏やかな話し方の、いかにも神に仕える雰囲気の人だった。


今日は客が少ないので好機と見たのか、それとも演奏の意欲が湧かなかったのか、彼はオルガンの構造を説明し始めた。
各ストップ(弁)の役割やその使い方を、実際に音を出しながら説明してくれた。
私はパイプオルガンの音色がどのように作られるのか初めて知った。
金属質の甲高い音色は、きっと専用のパイプが有るものと思っていたが、実際には僅かに周波数の違う複数のパイプの音を混ぜて作ると知り、その奥深さに感心した。
この日はオルガンの解説の後、何曲かを私たちの目の前で演奏してくれた。
特等席で聴くオルガンの音色は、忘れられない思い出となった。

 

毎月聴く聖堂のオルガンの音色は素晴らしかったが、当時の私はあまりオルガン曲を知らず、知らない曲を聴きながら退屈して居眠りすることもあった。

しかし、オルガンの重低音が大音量で鳴り響くと、コンクリート作りの聖堂の壁がビリビリと震え、その迫力にいつも目を覚まされた。

 

演奏会に毎月足を運んだが、ボーン神父にオルガンの説明をしてもらった年の春、私は就職のため広島を離れた。
残念ながらそれ以降、あの聖堂のオルガンを聴く機会は無い。

 

就職して最初に私が買ったのは電子キーボードだった。
給料のひと月分ほどの値段だったろうか。
音色がパイプオルガンに似ていたので迷わず買った。
我流の「二本指奏法」で簡単な曲しか弾けなかったが、その音色に包まれている時間は幸せだった。


私はキリスト教徒ではないが、教会の雰囲気が好きだ。
ステンドグラスの美しさ、オルガンの優しい音色、厳かな雰囲気。
だがそれだけでなく、私の心の中には「神を求める自分」がいるような気がする。
それは信仰などではなく、何か「絶対的なものへの憧れ」なのかも知れない。


高校では毎週宗教の時間が有って、仏教について学んだ。
だが仏教は信仰というよりは哲学に近いように感じ、面白かったが憧れは感じなかった。
それでも禅寺の雰囲気は好きだ。
それはキリスト教会と同じく、一心に何かに向き合う雰囲気を感じるからかも知れない。


定年で引退した今になって、中学か高校の頃に読んだヘッセの小説「知と愛」を思い出す。

修道院で暮らすナルシス(ナルチス)と、奔放な生活を送るゴルトムントの二人の生き方が対比して描かれており、当時私が共感したのはナルシスの生き方だった。
転落の人生を辿っていくゴルトムントを私は心配し、彼もナルシスのように「まともな人生」を送れば良いのにと思った。
だが死の床に就いたゴルトムントはナルシスに問いかける。
「愛のない人生を生きて、君は幸せか?」


当時の私はその問いの深い意味が分からず、ゴルトムントの人生には哀れみしか感じなかった。

だが、今の私はその問いの答に迷う。
どちらの人生の方が豊かなのだろうか?


私の生きてきた道は、彼らほど両極端ではなく中途半端なものだ。
それでも、どちらかと言えばナルシスに近いかも知れない。
この歳になって改めて二人の生き方を思う時、私の二人への憧れは当時と半ば逆転している。
自分にも、もっと豊かな生き方が有ったのかも知れない。

 

先日パイプオルガンの曲を聴いていて、
「ボーン神父はその後どうされたんだろう?」と気になった。
ネットで検索してみると、すでに亡くなっておられるのがわかった。
祖国ベルギーから日本に赴き三十数年、信仰と音楽教育に身を捧げ、最後は日本に骨を埋められた。
まさにナルシスの生き方だ。

 

ボーン神父
あなたほどではありませんが、私も善き道を探しながら人生を送りました。
あの聖堂で、もう一度あなたのオルガンを聴きたいものです。

 

 2001年7月23日 フランス・ボーン 広島に眠る

----------------------------------

(追記)

この書き込みは第23夜「ボーン神父」をリライトしたものです。

youtu.be