ノスタルジー千夜一夜

失敗と後悔と懺悔の記録(草野徹平日記)

別冊⑱(音楽編) 深夜のオルガン(二十歳の頃)

バイトが終わるのはいつも夜の12時過ぎだった。
ボーイ用の蝶ネクタイを外し、ワイシャツの上にジャンパーを着ると、そのまま店の外にあるバイクにまたがった。

深夜にもかかわらずネオン街は明るく、酔客の喧噪に溢れている。
店からバイクで15分も走れば下宿に着くのだが、途中で大学に立ち寄ることが多かった。
バイクを押して大学の通用門をくぐると、正面の理学部棟にはまだいくつか灯りが見える。
深夜に、実験でもしているのだろうか。
だが、体育館脇にあるサークル棟はさすがに真っ暗だ。

 

 サークル棟入り口の自販機でカップラーメンを買ってお湯を注ぐ。
木造2階建ての建物は、ひょっとして戦前から有るのではないかと思われるほど古かった。
灯りを点け、きしむ階段を上がると、広い部屋には衝立で仕切られただけの小さなスペースがいくつも並んでいる。
右へ行くと「うた仲」(歌声サークル)の部室が有り、さらに奥には探検部の部室が有る。
私はそれぞれの部室で、ラーメンをすすりながら連絡ノートの書き込みを読み、気が向けば書き込みをした。
その後、今度は一番左奥にあるグリークラブの部室へと向かう。


私は幾つものサークルを無責任に掛け持ちし、どれに対しても中途半端な活動しかできていない。
しかし、それぞれのサークルから得られる刺激や人間関係が、ともすれば「空っぽ」になりそうな自分をかろうじて支えているような気がしていた。


グリーの部室でラーメンを食べ終わると、いつもの様にボロボロの青い表紙の楽譜を手にとった。
四声だけの、簡単な宗教曲集だ。
オルガンの蓋を開け、その日の気分で適当に楽譜を開く。
大学に入って初めてオルガンに触れた私は、簡単な曲ですらまともには弾けない。
下手なオルガンを聞かれるのが恥ずかしくて、多くの学生で賑わう昼間は弾けなかった。
だが、誰もいない深夜には好きなだけ弾けた。

 
窓越しに見える、真っ暗なプールと塀の向こうに立ち並ぶビルの灯りを眺めながら、ゆっくりと自分のペースで曲を弾いた。
古い足踏みオルガンは、その日の気分に合わせて力強い音や優しい音色を奏でてくれる。

 
オルガンを弾きながら、小学生の頃に読んだシュバイツァーの伝記を思い出した。
彼は祖国を離れてアフリカの奥地に向かい、住民のための医療に奉仕した。
教会で趣味のオルガンを弾いて、神にも仕えた。
当時の私には、そんな寂しい生活に彼がなぜ身を投じたのか理解できなかった。
だがこうしてオルガンを弾いていると、彼の気持ちが少し理解できる様な気がする。
彼の人生は、寂しいばかりのものではなかったと思う。


私はバイト帰りだけでなくコンパの帰り道など、思いついては深夜に部室でオルガンを弾いた。
親元を離れ都会に一人で暮らし、時として言いようのない孤独を感じることが有った。
だが、オルガンの優しいハーモニーを聴くと不思議と心が安らいだ。

 

あれから、もう数十年が経つ。
何もかもが変わってしまった。
だがオルガンに触れると、バイト帰りに弾いたあの頃を思い出す。
今思えば、オルガンを弾いていた時間こそが、一番豊かな時間だったのかも知れない。
そして今でもオルガンを弾くと、白髪の増えた私も二十歳の自分に立ち返る。
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(追記)
この書き込みは第24夜「深夜のオルガン」をリライトしたものです。

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