ノスタルジー千夜一夜

失敗と後悔と懺悔の記録(草野徹平日記)

第48夜 被爆の日に②・その後の少年達

 (ジョー・オダネル氏撮影)

少年は涙を見せなかった。
彼は泣かないほど、強かったのだろうか。
それとも泣けないほど、多くのものを抱えていたのだろうか。

 

いろんな事を想像する。
「家」に戻れば瀕死の家族がいて、泣いてる余裕もなく看病をしなければならないのかも知れない。
それとも、悲しすぎて泣くこともできなかったのかも知れない。
どちらにしても、泣かなかった彼を心配する。.


ただ涙の有無は別にしても、彼の毅然とした態度は昨日今日身につけたものでは無い。
きっと、その様に教育されたのだろう。
彼は戦前の教育の「完成形」なのかも知れない。.
改めて、教育の重要さを感じる。


最近あまり聞かない言葉に「スパルタ教育」というものがある。
古代のスパルタ国では、病身でひ弱な子供は山の淵に投げ捨てられ、強い子だけを育てた。
私が教員になりたての頃は、そんな風に「厳しく」育てるべきだと言う声が今より大きかった。
一方、スパルタの対極にあったのはアテネの教育だ。
自由で芸術や弁論を重んじた。


私はスパルタの教育は間違いだと思っているし、世の大半の人もそうだろう。
しかしスパルタほど極端では無くとも、国民を強い兵士に育てるべきだとの声は根強くある。
そして世界には様々な考えの国がある。


家庭における子どもの育て方に、正解も間違いも無いと誰かが言った。
国の教育も同じかも知れない。

厳しく育てれば強い子ができあがり、優しく育てれば優しい子ができる。


私達が子どもを育てるやり方は、「どんな世の中を作るか」によって決まる。
国の形は様々に有るだろうが、私は最愛の弟を亡くした時に、泣ける子どもに育てたいと思うし、そのような世の中で有って欲しいと思う。
そんな国の形を決めるのは、私達1人1人だ。

 

 

二人の子どもがその後生きながらえたらしいと最近知った。

嬉しかった。

以下に、その後の少年達の様子を記す。

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(追記)

6日、松井広島市長は「核抑止の論理は破綻した」と述べ、平和構築のための新しい枠組みを作ることを求めた。

一方、岸田首相のスピーチは中身が無かった。