ノスタルジー千夜一夜

失敗と後悔と懺悔の記録(草野徹平日記)

第15夜 追悼 ノッポさん・・・あなたの前では、誰もが子どもになれた

ノッポさんの作る工作はいつも夢一杯だった。
子どもと一緒に作ったら、とても喜ぶだろうと思った。
だが「いつか一緒に作ろう」と思いながらも、なかなかできないまま、子どもは大きくなってしまった。
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ノッポさんは、初対面の子どもに対して
「私はのっぽと言いますが、君のお名前を教えて頂けませんでしょうか?」
と、とても丁寧な挨拶をした。
彼は「5歳児が一番賢い」と信じ、周囲にもそう公言していた。
そんな話を聞くと、ひょうひょうとした雰囲気のノッポさんは、テレビだけでなく実生活でもどこかおとぎの国の住人のような人だったんだなと思う。

 

1971年から1990年までの20年間、NHKの「できるかな」に出演しながら、一度も声を発せず、その一生懸命なジェスチャーで子ども達に語りかけてきた。
彼が喋ったのは、最終回だけだ。
なのに、私はなぜか彼の声を知っているような気がしていた。

 

今日ニュースで彼の死を知ると同時に、番組が30年以上も前に終わっていることを初めて知った。
信じられない。
つい数日前にも、あのテーマソングを聴きながら番組を見たような気がしていた。
それほどまでに身近な番組、そして彼の存在だった。

 
「いつか、私は風のように消えていなくなるからね」
いつもそう言っていたノッポさんは、昨年9月その言葉通りに急逝した。
彼の遺志で死去は伏せられ、今日5月10日、彼の誕生日にやっと公表された。
いかにも、ノッポさんらしい。
私も彼のように格好良く旅立ちたい。

 

別のサイトに以下のような文章を見つけた。
私もその1人だと思った。
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 (以下は、「ときめきとぴっく」2019年7月13日よりの引用)                   https://newsnachricht.net/reminiscing/nopposan
ノッポさんはその後に自身の著書『ノッポさんがしゃべった日』を著しています。
この本の中で次のように振り返っています。

『大きくなったお客さんは僕を見に戻ってきた……いや、違う。
僕を見に来たのではなくてノッポさんに会いに来た……
ノッポさんに会いに来たのではなくて、小さかった頃の自分に会いに来た』

 

 

ノッポさんをみて育った大人が泣き出すのも理解できます。
そして番組が終了してから寄せられた手紙には、
「今まで本当にありがとう」の言葉が多かったそうです。


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『自分で試してみる、工夫してみる、失敗する、でもまた へこたれずに頑張ってみることが非常に大事なんだ。

 一生懸命やることが大切で、それを笑う人間は相手にしなくていいんだ。』 

 ( 高見のっぽ )

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