ノスタルジー千夜一夜

失敗と後悔と懺悔の記録(草野徹平日記)

第14夜 神との取引(竜王山)・・・神を裏切った私

イザナミの眠る山、比婆山
その近くにある竜王山の登頂に失敗し、深刻な事態となった。
私は神に祈る以外、どうすることもできなかった。
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「先生、Tの様子がおかしいです。」
部長のMが最後列から叫んだ。
雪の中をよたよたと駆け寄ると、Tが抱き起こされていた。
Tは薄目を開き、喋ろうとするがろれつが回らない。
濡れたGパンの裾には沢山の雪が固まり着き、体温がかなり低下していた。
私は背筋がスーッと寒くなった。


竜王山は因縁の山だ。
最初に登ったのは、大学1年の初冬だった。
当時マスコミを賑わせた「ヒバゴン」を探そうと、探検部のメンバーで比婆山一帯を歩いた時だ。
雪の上に動物の足跡をいくつか見つけたが、残念ながら伝説(?)の生き物には会えなかった。
その時、捜索の途中に竜王山山頂近くの避難小屋で休んだ。
コンクリート作りの快適な建物だった。

 

イザナミノミコト」が眠ると言われる比婆山を中心として、その一帯は夏はお手軽なハイキングコースとなっている。
中でも竜王山は、頂上近くまで車で登ることもできる。
ただ中国山地の豪雪地帯では、夏と冬で様子は一変する。


二回目は最初に登ってから数ヶ月後の三月、一番雪の多い時期に1人で竜王山を麓から目指した。
地図を頼りに登山道でも無いルートを選んで進んだが、腰までの深さの柔らかい雪に苦労したあげく道に迷い、二日かけてもたどり着けずに引き返した。
三回目は就職して三年目、担任するクラスの生徒数名を引き連れ今度は反対側から登ったが、これまた深い雪に阻まれ、頂上近くでビバークして翌朝には登頂を諦めて下山した。


そして今回は四回目。
高校には珍しい「探検部」を作り、10名ほどで登っていた。
行きの列車の中ではみんな修学旅行気分だった。
部ができて日も浅く、まともな装備は無かった。
小さなリュックしか持たない生徒は、両手に大きな手提げ袋を持っていた。
服装もGパンにスニーカーが多く、登山の経験が無い生徒ばかりだ。
金のある生徒の中には、最新式の樹脂製防寒シューズをはいてきた生徒もいた。
だがこの生徒は、私が「極力荷物を減らせ」と言ったにも関わらず、当時出始めたばかりの乾電池式のテレビまで持ってきていた。


目的地近く、列車がトンネルを抜けた瞬間に周囲の様子は一変した。
白一色の世界に変わり、生徒達はわーっと歓声を上げた。
駅で降りると、登山道入り口まで歩いた。
登山道と言っても正規のものではく、地図上に書かれた小さな山道だ。
そしてそれは、私が大学1年の時に一人で登り、途中で迷った因縁のルートでもある。
ルートの表示板もなく登山者は見当たらないが、駅からのアプローチは近かった。


晴天の中、白銀の世界を歩く生徒達は快活そのもので、ハイキング気分だった。
だが、私は嫌な予感がした。
雪の量が例年に無く多い。
登山道に着いた瞬間に、その予感は現実となった。
そこには誰の踏み跡も無く、新雪に踏み入れた足は膝上まで埋もれた。


予定ではかなり早い時刻に小屋に着き、ゆっくりと風景を楽しむはずだったが、斜面での雪の深さは腰までとなり、ペースは予定の半分にも達しなかった。
体力自慢の生徒が交代で先頭のラッセルを行ったが、斜面が急になるにつれみんな無口になっていった。
やがて傾斜がやけに急になった。
登山道にしてはおかしい。
どうやら、雪に覆われて道を見失ったらしい。
ラッセル作業はいよいよ過酷になり、気ばかり焦るがどうしようもなかった。
雲に遮られ陽のありかは分からないが、周囲は薄暗くなり日没近くなのは間違いない。
やがて風も出て、休憩時にはたまらなく寒くなってきた。


全員無言のまま、ひたすら薄暗い斜面を上り続けると、
「道に出ました!」と先頭の生徒が叫んだ。
私たちは歓声を上げた。
発見したのは車がどうにか通れるほどの山道だった。
「きっと、これは小屋に通じている」とほっとした。
左右どちらに行くか少し迷ったが、上りの傾斜のついた右の方を選んだ。
今思えば、正解は左だった。
左に行けばかなり近い位置に小屋は有ったと思う。


道路に出た頃にはすでに「夜」になっていた。
私を含め、何名かはヘッドランプを点けた。
車道の傾斜は緩かったが、相変わらず膝上まで埋まる深い雪だった。
一歩一歩力を込めないと足が抜けず、先頭は体力を消耗した。
やがて見覚えのある風景にたどり着き、私は愕然とした。
そこは目指した竜王小屋では無く、どちらかと言えば立烏帽子山の避難小屋に近いところだった。
小屋までは、まだ少し距離がある。
ただ、自分たちがどこにいるのか分からない状況よりはましに思え、半分ほっともした。
そして気を取り直して歩き始めた時、Tが倒れた。


Tの様子は尋常では無く、女子部員達は泣き出していた。
呼びかけへの反応も弱々しい。
Tを励まし何回か立たせようとしたが、どうにもならなかった。
私は取り返しのつかないことをしてしまったと思った。
とにかく、動けないTを連れて行かなければならない。
ソリでもあればどうにかなるのだが、背負うしかない。
どのメンバーも、疲労と空腹と寒さで倒れる寸前だった。
私も大して変わらなかったが、こんな事態を引き起こしたのは自分の責任だと思い、背中の荷物を他の部員達に振り分けると、Tを背負って歩き始めた。


よろよろとおぼつかない足取りで何歩か歩いたが、空腹で力が出なかった。
みんな、列車を降りた時におにぎりを食べたきりだ。
「腹が減って力がでない!」と、私は情けなくも叫んだ。
部員の1人が、非常用に持参していたチョコレートを差し出してくれた。
一粒だけ口に放り込むと、僅かに残っていた力が全身にみなぎるのを感じた。
この時の味は今も忘れられない。


気を取り直して10分も歩いたろうか、屋根だけのある展望台に着いた。
数年前にビバークしたところだ。
ここで、どうするか迷った。
立烏帽子の避難小屋まで行けば安全に休める。
それに、ここから先は稜線に出るので雪道も歩きやすくなると思われる。
しかし、この様子ではどれだけ時間がかかるか分からない。
それは賭けに近かった。
確実さを求めるならば、ここでビバークすべきだろう。
すぐ脇の岩の陰に公衆便所が見えた。
建物の入り口にはドアもない、汲み取り式の小汚い便所だ。
だが他に選択肢はない。ここで休むことに決めた。


中には吹き込んだ雪が膝の高さまで積もっていたが、とにかく屋根がある。
コンクリートでできた小便器代わりの壁と大便器に南北を挟まれ、いくらか風よけになりそうだ。
「今夜はここで過ごそう」と私が言うと、みんなほっとした顔をした。
「もう歩かなくていい」それだけで救われた顔をしている。
床に張り付いた雪を掻き出し、入り口付近にリュックを積み上げて風よけにした。
三畳ほどの狭いスペースに10人が重なり合い、小便器の壁にもたれて寝た。
疲れ果てたみんなは、死んだように眠り込んだ。

到着した時にTは意識はあったが相変わらずろれつが回らず、やがて意識を無くしたのか寝たのか反応がなくなった。
私は風が吹き込む中、少しでもTの身体を温めようと携帯コンロを引っ張り出して火を点けた。
コンロの圧力が下がると炎が弱まる。
「神様、助けて下さい。もし無事に帰れたら、何だってします。こいつら全員を焼き肉屋に連れていって腹一杯食わせてやります。」
私は涙ぐみながらコンロのポンプを押し、ひたすら神に祈った。
そして、いつの間にか私も寝てしまった。


それから何時間たったのだろう、寒さで目が覚めた。
灯油も尽きたのか、コンロの火は消えている。
空がうっすらと明るみ始め、夜明け前の一番の冷え込みを迎えていた。
生徒達も「寒い、寒い」と身を寄せ合っていた。
それからの一時間ほどは気を紛らそうと、下界に降りたら焼き肉屋に連れて行くという話や、食べたい物の話をして過ごした。


やがて山の陰から太陽がきらりと姿を見せ、あたりはみるみる明るくなっていった。
朝の弱い光だが、それでもはっきりと温もりを感じた。
あれほど疲れ切っていたはずの生徒達も、便所を出て周囲を歩き回り始めた。
一番心配したTも普通の様子で目を覚ました。
私は安堵すると同時に、力が抜けていった。


休憩していても身体が冷えるばかりなので、非常食のお菓子を食べると早速歩くことにした。
竜王山は下山のルートとしては遠回りになるので、立烏帽子経由の下山ルートを選んだ。
稜線の山道は、想像したように雪も固く歩きやすかった。
生徒達は途中にある樹氷や、見晴らしのいい雪景色に歓声を上げながら元気よく歩いた。
こうして、私たちは無事に下山した。


一時は取り返しのつかない過ちを犯したと身体が震えたが、無事に帰れて本当に神に感謝した。
ただ、生徒達からは焼き肉屋へ連れて行けと催促されたが、私は頑強に拒否した。
大食漢の彼らを連れて行こうものなら、私の小遣いなどすぐに飛んでしまうことは目に見えていた。
それ以降、私は神に祈りを捧げる時、神への交換条件は分相応なものに限るようにしている。

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