ノスタルジー千夜一夜

失敗と後悔と懺悔の記録(草野徹平日記)

第13夜 世界一短い病名・・・病気になって受けた差別(?)

何となく、他人に言い辛い病名が有る。

・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・

 

憩室炎で入院した翌年の夏、私の身体はまたも重大な事態に見舞われた。
便が出ない。
元々便秘気味ではあったが、まったく出ない状態となった。
「そのうち出るだろう」と悠長に構えていたが、さすがに一週間以上も出ないと不安になり大腸肛門科を受診した。
診断は「イボ痔」
正式には内痔核というらしい。

 

「結構進行しているので、切除しましょう」
『えー! 入院は困ります。通院でどうにかなりませんか?』

昨年も同じやり取りをしたことを思い出した。
粘ってみたが結構大変な治療らしく、入院することになった。
夏休みの後半に手術をすることにし、同僚たちに電話やメールで連絡をした。
すると、みんな意外な反応だった。

 

「来週、手術をするんで入院することになった。」
 『えっ手術! 去年も入院したけど、大丈夫? どこが悪いの?』
  (手術と聞くと、大抵の人は心配する。)
「いやー、痔になってね」
 『なーんだ、痔かあ。ハハハ。忙しいんだから、早く出ておいで』
  (病名を聞くと、大抵の人は笑う。)

 

手術当日、手術が初めての私は緊張した。
やっと覚悟を決めると、服をすべて脱ぎ手術用の服に着替えた。

当然、パンツは穿かない。
驚いたのは、手術前の「儀式」だった。
初めて知ったのだが、手術の前に「穴」の周囲の毛を剃るそうだ。
「恥ずかしいので自分で剃ります」と言おうかと思ったが、無事に剃る自信はなかった。
かくして、カミソリを手にした看護師と二人だけで対面することになった。
この段階で、私は羞恥よりも恐怖を感じた。
とても繊細で柔らかな部分を、あんなカミソリで剃れるんだろうか。
私は意を決してお尻を突き出した。

 

「今日は良いお天気ですね。」
 剃りながら、看護師さんは世間話をしてきた。
『そうですね。良く晴れてるみたいですね。』
空も見えない密室の中で、初めて会った二人には他に共通の話題など無かった。
しかし彼女のカミソリの腕前は確かで、痛み一つ感じずに無事終わった。

 

さて手術本番となったが、局所麻酔のため意識が有り不安一杯だ。
私はうつぶせに寝かされ、感覚のない下半身を医師に委ねるしかない。
二人の医者はベテランと新人らしく、どうやら新人の実地研修を兼ねているようだ。
二人は専門用語を交えて、会話をしながら手術を進めていく。
中越しのため、二人のどちらが執刀しているのか私にはわからない。
手術は、繊細な部分の手術にしてはダイナミックで激しかった。
結構身体が揺れることが有り、一体どんな手術なのか見てみたいと思ったほどだ。
「無事に終わりました!」
ベテラン医師に言われてやっと安心したが、二人の顔を見ると私以上に安堵した表情に見えた。

 

術後の療養も結構大変だったが、無事に退院した。
退院すると、職場の親睦会や様々な組織から入院見舞いをいただいた。
私は人権教育の担当をしているので、県内の人権担当教員の組織からも見舞いを貰った。
翌月、その組織の会議に参加すると、会の終わりに一人の教員が前に立って挨拶をした。

 

「先日は、私の胃潰瘍での入院に際してお見舞いをいただき、ありがとうございました。」
参加者からは暖かい拍手が返された。
見舞いを貰ったらみんなに礼を言うものらしい。
私も遅れじと、前に立って挨拶をした。
「先日は、私のイボ痔での入院に際してお見舞いをいただき、ありがとうございました。」
100人ほどの会場は爆笑した。
私は、病名で差別するとは人権教育にもとるのではないかと言ったが、さらに笑いを誘った。

 

今回の手術の件を、私は学生時代の同級生達とのネット掲示板にも書き込んだ。
ただ、「痔」と書くのが嫌で、「世界で一番短い病名」と書いた。
すると、仲の良い友人から以下の様な返信が有った。

「草野君、この掲示板で君が入院した事を知りました。書き込みの中に『世界一短い病名』と有ったので、私は癌だと思い心配していました。けど妻が『痔よ』と教えてくれて、思わず笑ってしまいました。」


癌も痔も放っておくと、どちらも命にかかわる病気なんだけどなあ・・・

-----------------------------------

youtu.be

したものです。