坂本龍一は東北震災以降、被災地の若者たちによる「東北ユースオーケストラ(TYO)」を編成し、若者たちの支援を続けてきた。
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(写真は2011年5月、大船渡の避難所近くの桜)
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瓦礫の中から、泥の付いた写真を拾った。
若い家族が笑顔で写っていて、とても幸せそうだ。
水たまりの水で丁寧に泥を洗い落とそうとした。
すると写真は色が薄れていき、家族の姿は霞んでしまった。
私は慌てて手を止めた。
大船渡での復旧作業の昼休み、散歩がてらに瓦礫の中を歩いた。
その中に本や書類と共に、写真が沢山散らばっているのが気になった。
それが被災した人達にとって大切なものだろうと思ったからだ。
以前、私の自宅近くで火災が起きたことが有った。
翌日、火災現場の片付けの手伝いに行くと、その家の小学生の女の子が瓦礫の中で一生懸命に捜し物をしていた。
女の子は水に濡れた一冊の写真帳を発見すると、嬉しそうに抱いて母親のもとへと走っていった。
家や服を失っても、その子にとって一番大切なものは写真だった。
被災地の写真が気になった私は、一枚一枚拾い集めた。
スナップ、入学記念とおぼしきもの、結婚写真、どれも笑顔に溢れていた。
アルバムに貼られたままのものもあり、小一時間ほどで段ボール箱一杯になった。
拾った写真をボランティアセンターへ運び込んだが、センターでは写真の回収ルートがまだできておらず、ただですら手一杯の担当者は困惑していた。
拾った中に一枚の葉書があった、小学生の低学年らしい子どもが友達に宛てた年賀状だ。
「ことしもよろしく」
拙い文字と共に、楽しそうな絵が描いてあった。
この子達はどうなったんだろう?
この子達の「今年」は、その後の人生はどうなったんだろう?
自分の子どもの幼い頃の姿と重なり、涙で文字が曇った。
それから11年経った2022年3月、再び岩手へ行く機会を得た。
被災地の若者達で編成するTYO(東北ユースオーケストラ)の第九演奏会を支援するため、合唱団員として参加した。
若者たちの活動を支援し励ますことが目的だが、合唱団もこの数年の自然災害の被災者で編成されている。
私自身は熊本地震で生家を失った。
本番までの数か月間、コロナ急拡大の中で苦労が多く有った。
コロナ感染を覚悟しながらの何回もの練習、団員の不足、演奏会直前に起きた東北地方の大きな地震による会場の損壊。
それでも当初予定の4会場を2会場に縮小して実施された。
演奏会本番、ステージに立ってオーケストラの演奏を聴きながら、不覚にも涙が溢れてきた。
第九は何回も聴いた曲だが、聴いて涙が出たのは初めてだ。
私は必死で気を取り直し、涙をこらえた。
だが曲の途中、若々しく元気なトランペットの音色を聞いて、また涙が出てきた。
トランペットを吹いているのが、なぜかあの年賀状を書いた子のように思えた。
「良かった。無事に生きていてくれたんだ。」
もう、この子達はきっと大丈夫だ。
力強い演奏を聴きながら、私はそう確信した。
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(後記)
坂本龍一氏は2023年3月28日に亡くなられました。
ご冥福をお祈りします。
したものです。