ノスタルジー千夜一夜

失敗と後悔と懺悔の記録(草野徹平日記)

第45夜 2011年・被災地(東北)にて①・・・悩み

宿舎に到着した晩、言われた言葉に自分を恥じた。
「物見遊山で被災地に来ても構いません。現地に行けば、必ず『何かしたい』という気持になります」
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今日の現場は前日に続いて、津波で浸水した家屋の泥出しだった。
民家の庭一面に広がった汚泥をスコップで土嚢袋に詰めていく。
汚泥はガラス片や得体のしれない腐敗物を含み、その厚みは10センチほどだろうか。
湿って粘りのある土は重く、一時間もやっていると腰が痛くなる。
土嚢は集積所まで一輪車で運ぶのだが、15kg程の土嚢を5つも乗せると結構重い。
積み方が悪く、バランスを崩して何回も転倒した。
泥出しは体力勝負の現場だ。


隣の家を見ると、やけに手際のいいチームが作業をしている。
聞けば建設業組合のチームらしい。
そのスピードは、私たち教職員組合の素人チームより格段に早い。
さらに数軒先では小型のパワーショベルが作業をしていた。
言うまでも無く、そのスピードは人力とは比べ物にならない。


自分は何のためにここへ来たんだろう。
僅か一週間の作業のために、熊本から東北まで結構な旅費がかかった事だろう。
(旅費は組合負担なので、私は払っていない。)
その金を義援金として現地に渡し、建設機械をもっと入れたほうがいいのではないかと思った。


今回のボランティアへの参加が決まってから、出発するまでに一週間ほど時間が有った。
現地でどんな業務にも対応できるように多くのものを準備した。
安全靴や防塵マスクなどの保護具、避難所での交流のための小さな楽器や楽譜、壊れた家の修復のための若干の工具、帰ってから生徒に現地の様子を報告するためのカメラ、初めて行く東北の寒さを防ぐための防寒具・・・


だが、苦労して持参したものの大半は役に立たなかった。
被災者と触れ合う機会はほとんどなく、毎日が被災現場での肉体労働だ。
また、プライバシー保護のため、被災地の写真を撮ることも許されない。
張り切って被災地にやってきたのに、大した仕事もできていない。
唯一の救いは、作業終了後に家主から「ありがとうございます」と言われる、ねぎらいの言葉だけだった。


今回の旅で一番重要なのは「自分の学び」だと当初から分かっていたつもりだ。
だが自分は、何も学べていない気がした。
ただ、黙々と泥と戦う。