ノスタルジー千夜一夜

失敗と後悔と懺悔の記録(草野徹平日記)

第11夜 被災地の記録① 2011年4月「 孤独 」・・・寄り添いを求めて

12年前の4~5月の連休、岩手県大船渡へ震災復興のボランティアに行った。
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仮設住宅への支援物資の配達を終え発車しようとしたら、一番若い20代のG君がいない。
「そう言えば、作業の途中から見なくなったなあ。」と仲間の隊員が言う。
携帯に電話をかけるが出ない。
彼は前日の作業で一番ダメージを受けていたし、降り出した雨にも濡れているので心配していたところ、息を切らして走ってきた。
「一番端の家に配達に行ったら、お爺さんの話し相手にされました。」
聞けば30分ほど捕まって話を聞いていたらしい。
その人は寝たきりの奥さんを介護しているそうで、いろいろと積もる思いも有るのだろう。
それにしても、お年寄りの岩手弁が良くわかったなと感心したら、
「笑顔で適当に相槌を打っていただけです。」と彼は笑った。


新聞で見た記事に「避難所にいた頃は会話があったが、仮設住宅に入ったら孤独になった。」という被災者の言葉があった。
阪神大震災の時はこの問題が特に深刻だったらしく、今回の震災では各仮設住宅団地には集会所が設けてある。
しかしそこに行ける人ばかりではない。


その夜の宿舎でのミーティングで、大槌町に行った他の隊員からも同じ様な話があった。
山間にある集落の半壊した家には、足の不自由な七十代の男性が一人で暮らしていたそうだ。
彼は隊員の一人を捕まえて、昔話に花を咲かせた。
まだ自分が若かった頃の話、村に活気があった頃の話、話は延々と続いた。
「二階からタバコを取ってきてくれ。」
彼に頼まれて、隊員が取ってきて渡そうとした。
すると、
「あんたにやる。持って行け。」
とポケットに押し込まれた。
もらったその隊員はタバコを喫わないので、後でほかの隊員にあげたそうだ。
その話を聞いて、タバコ喫いの隊員がぽつりと言った。
「その爺さんは、一緒にタバコを喫う相手が欲しかったんだよ。」

 

その地区の若者の8割ほどは都会に出てしまうそうで、いわゆる限界集落らしい。
津波が無くとも、孤独な人は多い。

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2011年の4月、日教組から派遣され、岩手県へ震災復興のボランティアに行きました。
旅費や滞在費は、多くの組合員からのカンパで賄いました。
支援者に活動の様子を報告するため、毎日携帯の狭い画面から報告を送りました。
上記の文章は、その時の書き込みの一部です。
私がエッセイを書き始めたのは、この時の経験が大きいのかもしれません。

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