ノスタルジー千夜一夜

失敗と後悔と懺悔の記録(草野徹平日記)

第29夜 1985年式ヤマハTZR250(恐怖のオークション)・・・レストアの快感 

私はバイクも四輪も新車を買ったことがない。

中古のバイクには、人間と同じで様々なドラマが有る。

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「兄ちゃん、ガソリンが漏れとるで」
信号待ちで並んだトラックの運転手から声をかけられた。
一瞬何のことかわからなかったが、立ち上るガソリンの匂いに気づき足元を見た。
またがったバイクのキャブレター付近からガソリンがチョロチョロと漏れている。
「危ない!」
このままでは引火する。
私は慌ててバイクを押して歩道に停めた。


そもそもの始まりは、酔っぱらってオークション出品のバイクに入札したことだった。
二日酔いの翌朝、寝ぼけた目に入った画面には
「おめでとうございます。商品を落札しました」の文字が浮かんでいた。
まさかと思った。
酔った勢いで冷やかしの入札をしたが、スポーツバイクが7万円で落札するとは思ってもいなかった。
驚きはしたが、「欲しかったバイクだし、安く手に入ったのならそれもいいか」と、私は自分に言い聞かせた。
だが、出品者の住所を見て驚いた。
それは熊本から800kmほども離れた、神戸からだった。


一瞬青ざめたが、よく考えると私は来月大阪に行く予定だ。
ついでに神戸に住む大学生の息子の様子も見に行くつもりだった。
多分、落札する時に「その時に乗って帰ればいいさ」とでも思っていたのだろう。
冷静に考えればとんでもない入札だが、私は購入することにした。


一ヶ月後の金曜日、私は熊本から夜行バスに乗り込んだ。
仕事に関する研修だが出張は認められず、経費は全額自己負担だ。
そのため、一番安い交通手段を選んだ。
眺めがいいだろうと二階の最前列に座ったが、すぐに後悔した。
夜の高速道路は景色も何も見えず、よく揺れる。
大型バスは船と同じで、前と後ろが一番よく揺れるのを知った。
私は船酔いに苦しむ夢を一晩中見続け、疲れ切って早朝の大阪に降り立った。


大阪での目的は人権教育の研修会に参加することだ。
同時に土曜の夜に開催される、人権教育ネット掲示板のオフ会への参加も大きな目的だった。
オフ会は大阪市内の焼肉屋で開催され、とても盛り上がった。
初対面の人間ばかりだったが、普段掲示板上で個人的な話や互いの人生観を交わしたりしているだけに、古くからの友人と話すような楽しさがあった。
ただ、初めて会って驚くことも多かった。
一番驚いたのは、中年男性とばかり思っていた「アヒルさん」が妙齢の女性だったことだ。
また、会の前には近くにあるコリアン街を案内してもらい、日本の中に有る「外国」に目を見張った。


宿泊は、日雇い労務の人たちが多い、N区の木賃宿に転がり込んだ。
一泊2000円。
木賃宿としてはやや高い。
板張りの狭い個室に簡易ベッドが置かれ、共同トイレと共同浴場の設備があった。
寝るだけなら十分な設備だ。


昔、教員4~5年目の頃「夏休み中に、東京か大阪のドヤ街で暮らしながら、日雇い仕事を体験する」という計画を立てたことがある。
「危険だからやめろ」と真顔で忠告する同僚もいたが、結局時間が取れなくて計画は実現できなかった。
あの頃から30年の時が経っている。
現代の「ドヤ街」は衛生的だ。
ただ、近隣の公園などの空き地に、ブルーシートや段ボールで作った「家」を幾つも見かけた。
一泊2000円の宿賃を払える人ばかりではない。


翌日の研修は午前中で終わり、神戸の息子宅へ向かった。
初めて対面するTZRを見て声が出なかった。
先々週の大雨でアパートの裏山が崩れ、駐車場に流れ込んだ土砂にバイクが半分埋まったらしい。
バイクにはまだ生々しい泥の跡が付いていた。
乗る予定のフェリーは今晩神戸港を出港する。
私は大慌てで整備を始めた。


泥を落とし、エンジンをかけるがなかなかかからない。
アパートに持ち帰った時はエンジンがかかったらしいから、売主にクレームも付けられない。
シリンダーの圧縮圧力と電気はしっかりしているようなので、燃料ラインを念入りに調べた。
近くのホームセンターからキャブレタークリーナーを買って、キャブレターの吸入口やタンク内にスプレーする。
だが、それでも効き目がない。
クリーナーの注意書きを改めてみると、
「タンク内にはスプレーしないでください。」とあった。
慌てて、タンク内のガソリンを全部抜き替える。
キャブレターの簡易整備をしたが、出航の時刻が近づいても一向にエンジンはかからない。
数百回もキックしたろうか、私は観念して帰宅を一日遅らせることを決めた。
幸い翌日の月曜日は休みが取りやすい日程だ。
ただ、出航は神戸港でなく、大阪の南港からとなる。


翌日の朝からキャブレターの分解を始めた。
清掃して組み立てると、何とかエンジンはかかったがアイドリングが安定しない。
キャブレターの横にあるエアースクリューを何回も調整するが、うまくいかなかった。
だが、吹かしてさえいればエンジンは止まらない。
このまま出発することとした。


昼過ぎに神戸を出た。
都市高速もあるが、街中の見物を兼ねて下の道を走った。
エンジンを吹かしていないとエンストするので、信号待ちでは周囲に気が引けた。
「ガソリンが漏れている」と声をかけられたのはそんな時だ。


歩道で見てみると、キャブレターのエアースクリューのねじが外れて紛失していた。
何回も開け閉めした際に緩んだようだ。
そこからガソリンが結構な量流れ出ている。
バイク屋に行っても、特殊な部品がすぐに手に入るとは思えない。
どうにか漏れを止めようと、私は噛んでいたチューインガムを押し込んでみた。
一応止まったかに見えたので走り始めたが、次の信号待ちでまたガソリンの匂いがしてくる。
やはり漏れは止まらない。
このままでは、引火しなくともガス欠で港にたどり着けなくなる恐れがあった。
「漏れ出てしまう前に港に着くしかない」
私は覚悟を決めて、高速道路に乗ることにした。


高速でのTZRは快適だった。
2サイクルエンジンらしい加速感と、乗りやすいポジションに心が弾んだ。
だが、左足の膝から下はガソリンで濡れていた。
ガソリンが無くなるのが早いか、港に着くのが早いか、私はスピードを上げて走り続けた。


迷いながらも南港に着いた時は、もう夕刻だった。
出航までの待ち時間に、何とか漏れを止めようと考えていると、足元に転がるタバコの吸い殻に気づいた。
「これだ!」
拾い上げた吸い殻からフィルターのスポンジだけを取り出し、ガソリンの漏れ出るねじ穴に詰め込んだ。
全く漏れが止まったわけではないが、かなり流出量は減った。
エンジンをかけていない間は、燃料コックを切っておけばガソリンは漏れない。
こうしてやっとフェリーに乗り込むことができた。


フェリーの船内はバスと違って快適だった。
窓から海が見える大浴場もあり、しばし疲れを癒すことができた。
翌早朝、船は無事に別府に到着し、ガソリンを満タンにして高速道路に上がる。
勤務地の玉名まで、ガス欠と到着のどちらが早いかを争うレースがまた始まった。
高速でのTZRは快調で、私は自分の担当する授業が始まる10分前に教室にたどり着いた。


TZRは憧れのバイクだった。
発売当初、初めて現車を交差点で見た時に感動した。
停車状態から軽くアクセルをひねっただけで、フロントタイヤを浮かせるほどの加速を見せてバイクは走り去っていった。
いつかは乗りたいと思っていたバイクを手に入れたのだが、その後いくら整備をしても低回転でのエンジン回転は安定せず、常に吹かしておかないとエンストする。
かくして、軒下に眠るバイクがまた一台増えてしまった。

 

もう二度と、酔った時にオークションには参加しない。

 

(追記)
それから数か月後、二日酔いで目を覚ました私がパソコンを開くと、メールが届いていた。
「おめでとうございます。商品を落札しました。」
今度は、超破格値の四輪バギーだった・・・

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