ノスタルジー千夜一夜

失敗と後悔と懺悔の記録(草野徹平日記)

第43夜 カワサキW1SA(バーチカルツインの響き)・・・「三番目」の逆襲

マルチエンジンの様に紳士的ではない。
しかし、ハーレーの様に暴力的でもない。
無骨だが人間的な温かみを感じさせるその排気音に、私は魅せられた。

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カワサキ W1 写真 に対する画像結果

燃料コックを開き、キャブレターに付けられたティクラーを押して、ややオーバーフロー気味にする。
キックレバーを少し踏みながら、ピストンを始動に適した位置に合わせる。
スイッチを入れ、一気にレバーを踏み下ろす。
すると、猛獣の咆哮にも似た排気音と共に、エンジンは目を覚ます。
いつも儀式通りの手順を踏まないと、W1は機嫌よく目を覚ましてくれない。


W1と初めて出会ったのはいつだったろう。
探検部の友人がW3に乗っていたので、それが最初だったかもしれない。
天文学研究会の先輩もW1に乗っていたのを思い出す。
その音楽的とも言える排気音に魅せられながらも、当時の私は免許を持っておらず、金も無かったのでWに乗るのは夢のまた夢だった。


就職して一年目、ボーナスを貰うとすぐに中古のW1SAを買った。
だが、当時私はまだ中型の免許しか持ってなく、100㎞離れた広島市までの引き取りは職場の先輩に頼んだ。
その帰り道、先輩の乗ったW1を車で追いながら、私は先輩が羨ましくて仕方が無かった。

しかし先輩は、私がスピードを出さないでと頼んでいたにもかかわらず、スピードを上げると私を置きざりにしてはるか先に行ってしまった。
650㏄の車体はそこそこ重いはずなのに、彼は「軽く感じてとても乗りやすい」と言った。
彼もその音と心地よい振動、加速感に魅せられた様だ。


免許の無い私は、W1を職場(学校)に保管した。
そして土曜の午後になると、誰もいないグランドで限定解除試験のための練習をした。
キャンプ用に保管されている薪を倉庫から引っ張り出して並べては、波状路の練習。
白線を二本長く引いては一本橋の練習。
校長も教頭もその様子を窓から眺めながら、何も言わなかった。
いい時代だった。


W1の乗りこなしはそれなりに上達したが、免許試験には落ち続けた。
当時は自動車学校での取得はできず、遠い広島の試験場まで年休を取って十数回通った。
しかし、慣れない試験場での慣れない4気筒の試験車では、合格するはずもなかった。
結局私は免許取得を諦めた。


乗れないW1を数年間はアパートの軒下に置いていたが、次第に錆びていくのが不憫で、安い値段をつけたらあっという間に売れてしまった。
結婚当初、女房に言い渡した言葉を思い返した。
「我が家で一番大切なのは、このW1。次がCB250。あなたは三番目だから」
そんな大切なバイクを、売らざるを得なかったのは辛かった。

 

限定解除に合格したのは、それから十数年もたってからだ。
公安委員会が販売店協会と共催する安全運転講習会を受講した。
CB750F、GPZ750、XJ750、GSX750等の大型バイクが用意してあり、各車を乗り比べながら外周やスラロームを結構な速度で走った。
この時に一番乗りやすくて気に入ったのはXJ750だった。
一番小柄な車体でコントロールしやすく、トルクも有って思いのままに操れた。
この時、実際の試験コースを走りながら、細かな採点上のポイントを試験官から教えてもらった。
その甲斐あって、試験には2回目で合格した。


本当は一回目で合格のつもりだったのだが、不運なことに試験の二日前にひざを痛めてしまい、最初の試験当日は歩くのがやっとの状態だった。
だが仕事の都合でその日しか休暇は取れない。
足が悪い事を試験管に悟られないように、痛みをこらえながら200kgを超す重たい車体を取り回した。
しかし足をかばうあまりに集中力を欠き、試験の途中で複雑なコースを間違えてしまった。
頭の中が真っ白になり、その後の運転は減点続きで不合格だった。

 

二回目の受験はそれから一月ほど後だった。
足はかなり治っていたが、その日はひどい雨だった。
コースには水が溜まり、急制動の場所ではみんな水しぶきを上げながら急ブレーキをかけた。
その日20名近くいた受験者の中で合格者は私一人だけだった。
だが当時の合格率は7%程だったので、特に悪いというわけでもなかったようだ。


合格者として番号が呼ばれた瞬間は、夢のようだった。
「やっとW1に乗れる」
それが一番に思い浮かんだ。
そして再びW1SAを手に入れることができた。
久々に乗るW1は楽しかった。


だが問題の多い車体で、タンクの穴、ブレーキやサスやクラッチのへたり、シートの傷み、ホイールやマフラーの錆と課題は山積みだった。
また肝心の排気音が、残念ながら納得できなかった。
以前乗っていたW1の豪快ながらも音楽的な排気音と違い、少し耳障りな金属質の共鳴音が有り、回転を上げると割れた音に感じた。
そんなことも有って、それから3年ほど乗ったが、車検も切れた今は納屋で静かに眠っている。


私も歳を取り、最近は体力も衰えてきた。

私の方がW1以上のポンコツになったかもしれない。
だがいつの日かWをレストアして、素敵な排気音を響かせたいと夢みている。

まだまだ二人とも現役のつもりだ。

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(追記)
この書き込みだけは、女房に見せられない。
三番目だった序列は、いつの間にか私をも抜き去ってしまった。
我が家では、あの発言は無かったことになっている。