(山端庸介氏撮影)
何歳だろう。
3,4歳くらいだろうか?
顔中に傷を作り、防空ずきんの下には包帯のようなものも見える。
大切なおにぎりを手に、無表情にカメラを見つめている。
この幼い目は、被爆の地でどんな景色を見てきたのだろう。
80年代、被爆記録映画を作るための「10フィート運動」が日本で展開された際、私もキャンペーン映画の上映に協力した。
運動のパンフレットの表紙に、この子の写真があった。
被爆地長崎で撮影されたものらしい。
「決して子ども達を戦争に遭わせてはいけない」と思った。
それから20年ほどして、また辛い写真に出会った。
「焼き場の少年」と題された写真だ、
アメリカの従軍カメラマン、ジョー・オダネルによって長崎で撮影された。
以下にオダネルの書いた文章を一部紹介する。
----------------
焼き場に十歳くらいの少年がやってきた。
小さな体はやせ細り、ぼろぼろの服を着て裸足だった。
少年の背中には二歳にもならない幼い男の子がくくりつけられていた。
その子はまるで眠っているようで
見たところ体のどこにも火傷の跡は見当たらない。
少年は焼き場のふちまで進むとそこで立ち止まる。
わき上がる熱風にも動じない。
係員は背中の幼児を下ろし、足元の燃えさかる火の上に乗せた。
まもなく、脂の焼ける音がジュウと私の耳にも届く。
炎は勢いよく燃え上がり、立ちつくす少年の顔を赤く染めた。
気落ちしたかのように背が丸くなった少年はまたすぐに背筋を伸ばす。
私は彼から目をそらすことができなかった。
少年は気を付けの姿勢でじっと前を見続けた。
一度も焼かれる弟に目を落とすことはない。
軍人も顔負けの見事な直立不動の姿勢で彼は弟を見送ったのだ。
彼の肩を抱いてやりたかった。
しかし声をかけることもできないままただもう一度シャッターを切った。
急に彼は回れ右をすると
背筋をぴんと張りまっすぐ前を見て歩み去った。
一度もうしろを振り向かないまま。
(後略)
---------------
なかなか争いは無くならない。
アフガン・シリア・ミャンマーと続き、それぞれが解決しないままにウクライナへと続いている。
そして今、世界の兵器産業は好景気に沸き、ネット上にはウクライナ軍が多数のロシア兵を殺したと喜ぶニュースが溢れている。
幾度もの大戦を経ながら、人は何を学んだのだろう。
そして私は何をしてきたのだろう。
----------------