ノスタルジー千夜一夜

失敗と後悔と懺悔の記録(草野徹平日記)

第34夜 愛するものへ・・・ばあちゃん、僕、そして孫

消毒液の匂いの漂う病室で数十年ぶりに握ったばあちゃんの手は、野良仕事で鍛えた大きくしっかりとした手だった。
この手で僕は育ててもらった。
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小さい頃、僕はいつもばあちゃんと一緒だった。
忙しい両親に代わって、毎日僕の面倒を見てくれた。

 

ばあちゃんの一番の楽しみは近所の人との茶飲み話だった。
何杯もお茶をお代わりし、僕が「もう帰ろう」と袖を引くまで話は終わらなかった。
待ちくたびれて寝入った僕を、背負って帰ることも度々だった。
そんなばあちゃんの愛情を一杯に受けて僕は育った。


ばあちゃんは僕が家を継ぐことを望んでいたが、僕は高校卒業と同時に大学に通うため都会へ出た。
時々、カタカナばかりで書かれた手紙がばあちゃんから届いた。
老眼鏡をかけ、鉛筆を力一杯に握りしめて書くばあちゃんの姿を思い出し、公衆電話からよく電話をかけた。
ばあちゃんは僕の電話代を心配して、いつも慌てた口調で喋った。
「お金はあるかい。ご飯はちゃんと食べよるかい。今度いつ帰ってくるかい」
いつもはお喋りなばあちゃんだが、僕が元気な事だけ確かめると、電話はいつも一方的に切れた。


大学卒業後も僕は都会に残り、やがて結婚した。
僕が自分の子どもを正月に連れ帰った時、ばあちゃんは「跡取りができた」と大喜びだった。
しかし今、ばあちゃんは癌を患い死の床にある。
「また来るね」と言って病室を出る僕に、
「今度はいつ帰ってくるかい」との、いつもの言葉は返ってこなかった。

 

僕が実家に戻ったのは、ばあちゃんが死んでから二年後だった。


最近、連日のように孫の守りを任される。
まだ言葉もうまくしゃべれない子どもの面倒を見るのは、とても大変だ。
孫が来ると、何一つ自分のことはできない。
特に寝起きで機嫌が悪い時には、身体をのけぞらせて激しく泣き、手の付けようがない。
でも、泣き止んで静かになった孫を抱き、まつ毛を涙に濡らしたその顔を見ていると、たまらなく愛おしくなる。
ふと、僕が小さかった頃のばあちゃんの気持を思った。
どれだけばあちゃんが僕を愛してくれていたか、今になって分かった気がする。


休日の昼下がり、ばあちゃんが毎日お参りをしていた仏壇にお茶を供える。
新茶の柔らかな香りが部屋に広がる。
湯飲みから立ち上る湯気の向こうから、

「元気にしとるかい」と、優しい声が聞こえた気がした。

 

(追記)
私自身も3人の子供を育てました。
しかしいつも自分の仕事に追われ、子育ての大半は女房任せでした。
孫の守りは、私にとって初めての子育てかも知れません。

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