ノスタルジー千夜一夜

失敗と後悔と懺悔の記録(草野徹平日記)

第33夜 天界と下界(見てはいけないもの)・・・仙人の退屈

いつも雲に乗って空を飛んでいた久米仙人はある日、川で洗濯をしている乙女の太腿に目を奪われた。
一瞬芽生えた欲情のために彼の神通力は失われ、たちまちにして彼は空から墜落した。

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「見つけたぞ!」

Y先輩が大きく叫んだ。

秋晴れの昼下がり、私たちは大学の屋上に望遠鏡を引っ張り出して、「見えない」火星を探していた。

 

昼に星は見えない。

しかし火星ほど明るい星ならば、うまく望遠鏡を向ければ観測することができる。

ただ、そのためには望遠鏡を正確に設置する事と、「見えない星」にピンポイントで照準を合わせるという二重の前提が必要だ。

ところが、Y先輩はすぐに火星を探しあてた。

いつも笑顔の優しい先輩だが、こういう時は頼りになる。

 

私が大学1年の秋、その日は月が火星を隠す「火星食」が予定されていた。

私たちは望遠鏡に光電管をつなぎ、火星の光量の変化を電気信号に変えて観測する予定だった。

計測機械のチェックも済み、いよいよ火星が月の陰に隠れるという時を迎えた。

 

その時、望遠鏡を近くで見ようと歩いていた私は、光電管につながるケーブルに足を引っかけてしまった。

ガラスでできた高価な光電管は下に落ちて割れてしまい、望遠鏡の向きも変わってしまった。

 

「あーっ!」

みんなの視線は割れた光電管に集まり、次に私に注がれた。

私の注意散漫の行動は、今日もみんなに迷惑をかけてしまった。

 

その半年ほど前、大学の入学式の翌日、キャンパスには沢山のサークルが店を出していた。

だが私は入るサークルを心に決めていた。
やっとそれを見つけたが、小さな看板一枚と机ひとつだけの、暗い雰囲気のサークルだった。

看板には「天文学会」と書いてある。
何ともたいそうな名前を付けたものだ。
横に小さく「天文学研究会」と書いてあるのが、正式名称のようだ。

 

小学校の頃から宇宙に憧れた。
なりたい職業は宇宙飛行士か天文学者だった。
だが、ばあちゃん子の私はばあちゃんを残して家を出ることはできず、その頃熊本県内にできたばかりの造船所で働こうと、工学部の造船科を受験した。
それでも宇宙への夢は捨てがたく、是非星空を眺める毎日を送りたいと願っていた。

 

天文学会」は部員6~7人の小さなサークルだった。
教養部棟の屋上に観測ドームが有り、口径30センチほどの反射望遠鏡が中央に据え付けられていた。
私は初めて触れる電動式の赤道儀や、モーターで回転・開閉するドームに興奮した。
大口径の望遠鏡を通して見る星空には、星野図に載っていないたくさんの恒星達が一面に広がり、惑星もくっきりと見えた。

最初の頃、私は毎晩通った。

だがひと月もすると、次第に飽きてきた。
星は全くと言っていいほど変化しない。

ただ漠然と星を眺めているだけでは、詩人にしかなれない。

 

先輩たちは、それぞれにテーマを決めて観測をしているようだった。
ある先輩は新星を発見するために、毎晩特定の星域の写真を撮影していた。

部室には、彼が数年がかりで撮りためた、全く同じにしか見えないネガが多数保管されていた。

別な先輩は新彗星の発見を目指して、未明に観測していた。

しかし、彗星を発見できる人は、毎年世界に数人しかいない。

 

観測対象に悩んだ私は、当時天文雑誌で話題になった、月面発光現象を観察しようと決めた。
月面発光とは、正体不明の明るい光が月面で時々観測される現象だ。
特に満月の頃が多いとの報告が有った。
それ以来何日も月を眺めたが、発光現象には出会わなかった。


ただ、倍率を上げて見る月面の風景は面白かった。

こうして当分の間月を眺めて過ごしたが、二月もするとまた飽きてきた。

そして、空には見るべきものがないように思えてきた。
これが昼間ならば、遠くの景色を見て楽しむこともできるが、天文台は昼は使えず、ましてや望遠鏡は下へ向く構造にはなっていない。

そんな私の目に、ドームの先200mほどの位置に建つ、背の高いマンションが見えた。


「38万キロ先の月を見る性能を、200mほど先の目標に向けたらどう見えるのだろう。」
素朴な疑問が湧いてきた・・・

 

 

それから暫くして、天文学会の忘年会の時、部長がみんなを前にして訊いてきた。

「時々望遠鏡が、天界ではなく下界を向いていると言う噂があるが、本当か?」
私はドキッとして下を向いた。

正直に言ったものか悩んだ。

だが周囲をよく見ると、下を向いているのは私以外に何人もいた・・・

 

何事にも飽きっぽい私は、詩人にも仙人にもなれなかった。

そして、2学年の途中には退部してしまった。

 

(追記)

当時部員の間で、正体不明の飛行体を見かけたものが複数いた。

形がわかるほどの近距離ではなかったらしいが、普通の飛行機や人工衛星とは明らかに違う軌跡で飛んでいたらしい。

この世の中には解明されていないものが有るのかもしれない。

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冨田勲は私にドビュッシーを教えてくれた。