ノスタルジー千夜一夜

失敗と後悔と懺悔の記録(草野徹平日記)

第22夜 恋愛におけるABC・・・生まれ変われない自分

自分を変えたい、新しい自分に生まれ変わりたいと思う事がよくある。勇気を奮って一歩踏み出してはみるが、付け焼刃ではなかなかうまくいかない

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大学1年の春、講義室で学科の友人達が「合ハイ」の話をしていた。
昨今の「合コン」と違って、当時は合同でハイキングに行き、その後喫茶店でお茶をするという「合ハイ」が盛んだった。
同級生のMの知人が近くの女子大に通っているらしく、その学科(英文科)との合ハイを企画したそうだ。            
私達の学科は男ばかりで、普通に生活していては女学生と口をきくことすらなしに一日が過ぎていく。
私は、すぐメンバーに割って入った。
生まれて初めて参加する合ハイに、私は期待を膨らませた。


当日はバスセンターで女性陣と待ち合わせた。
行く先は近郊の水源地。
そこで料理を作って一緒に食べる予定だ。
バスを降りた後、川沿いに上流へと歩く。
好天の日曜日とあって、緑豊かな渓谷は多くの人々で賑わっている。
フォークダンスする予定なので、ある程度の広さの静かな場所を探すが、なかなか良い場所が見つからない。
こうしてどんどん奥へ、上流へと向かっていった。
三十分も歩いたろうか、やっと見つけた場所はかなりの上流でさすがに人は少ない。
空き地の中央にラジカセを置くと、早速ダンスを始めた。
聴いたこともないような曲に合わせて一所懸命に踊ったが、私のステップだけはみんなより1テンポずれていた。


その後、薪に火をつけて鍋をかける。
調理は女性陣の役目だが、どうやら料理に不慣れな子が多い様だ。
メニューはすき焼きなのだが、醤油を入れてもなかなか良い色にならない。
一番活発な子が料理長を務め、彼女の指示で「うすくち醬油」が大量に投入されていった。
途中で味見をした料理長は一瞬眉をひそめて手を止めたが、水をたくさん追加して料理は「完成」した。
「いただきます!」と口を付けた私たち男性陣は、言葉を失った。
(塩辛い!)
見れば、女の子たちは全員うつ向いている。
私たちは、焦げた飯盒の米で料理を胃に押し込んだ。


食後の洗い物も一段落した頃、女の子たちから「もう下におりよう」という声が上がった。
予定よりかなり早い時刻だったが、山道を歩いた疲れもあるのかと思い、早く下りることになった。
だが彼女たちの提案の裏には、もっと深刻な事情があった。
この近くにはトイレがない。
来る時はひたすら人のいないところを探したため、一般的な観光エリアよりはかなり上流に登っている。
最後にトイレを見かけたのはかなり下流だった気がする。
さらに追い打ちをかけたのがすき焼きだ。
塩辛い料理を食べた後に喉が渇き、みんな大量の水を飲んでいた。
男性陣は少し離れた場所で、こっそり「立ち〇〇〇」も出来たが、女性はそうもいかない。


撤収のスピードは驚くほど早く、帰りの歩く速さはさらに速かった。
行きの時の賑やかさと違って、女の子たちは一言も話をせず、まっしぐらに坂道を下って行く。
どうにか観光客のいる区域までたどり着くと、みんな一斉にトイレへと駆け込んだ。

その後市内に戻ると、繫華街の喫茶店で男女向かい合って話をした。
私の席の近くには小山田さんという、結構私好みの子が座っていたが、なかなか私は声をかけることができないままに終わった。


寮に帰ると、部屋には同室の友人の他に先輩が待っていた。
「どうだった?」
私が成果がなかったことを伝えると、
「いかん!」
と、先輩は私を叱った。
「男だったら、ここぞという場面では勇気を出せ!」
彼は、一度しかない人生で悔いを残してはいけないと力説した。
最初は「そんな無茶な」と思ったが、これまでの自分の殻を破って新たな自分を探すチャンスかもしれないという気がしてきた。


翌日、合ハイを企画したMに「小山田さんの電話番号を教えてくれ」と私は頼み込んだ。
その夜、公衆電話から恐る恐る電話をかけると、母親らしき人物が最初に電話に出、私の素性をいぶかりながらも電話を取り次いでくれた。
「あのう、草野です。先日ご一緒した。」
 『クサオさん?』
「いえ、クサノです。」
どうやら彼女には、私の名前も顔も記憶が無い様子だった。
一生懸命にお茶に誘ったが断られ、もう電話をしないでほしいと言われた。
寮で結果を先輩に話すと、「突撃あるのみ!」と一喝された。


そういえば、一緒に行ったメンバーの中にイサオという友人がいた。
柔道二段、大学では少林寺拳法部に所属するイカツイ男だ。
きっと彼女は彼と私を混同したに違いない。
翌日、私は誤解を解こうと再度彼女に電話をした。
母親は電話を取り次ごうとしたが、電話を断る彼女の声が電話口の向こうから聞こえた。
その夜、事の顛末を聞いた先輩は、「もっと押せ!」と発破をかけてきたが、さすがにそこまでの勇気はなかった。


こうして初めての合ハイは、成果なく終わった。
ただ、合ハイを企画したMは、何と小山田さんと付き合うことになったとその後聞いた。
私の強引な電話攻撃の相談を受けたことが、付き合うきっかけになったようだ。
その後、学生時代に10回近く合ハイに参加したが成果は無く、私は淋しい学生時代を過ごした。


それでも三年生の時たまたま読んだ本に触発され、女の子に猛烈なアタックをかけたことが有った。
本には「女性は押しの強い男性に弱い」と書いてあり、見習うべき例として映画「風と共に去りぬ」の登場人物、レット・バトラーがあげてあった。
風と共に去りぬ」など、見たことがない。
だがこの本の言葉を信用し、相手に何回断られてもいろんな手段でアプローチし続けた。
今の基準で言えば、十分「ストーカー」に分類されるレベルだと思う。
当然、無残な結果に終わり、私もかなり傷ついた。
気落ちしながら本をもう一度読み直すと、章末には追加の文章があり、
「但し、くれぐれも慎重に。生兵法は怪我のもと」とあった。


この時私の友人の間では、身の程もわきまえず突進したバカな男として笑い話になった。

きっと彼女の周囲でも「しつこくて迷惑な男」という話が広まったと思う。


当時、私の失恋話を聞いて慰めてくれた友人の一人にMもいた。
一年生の時に合ハイを企画して、その後小山田さんとしばらく付き合っていた彼だ。


「草野、お前がこないだ振られた佐田さんは〇〇女子大だそうだな。」
 『そうだけど。』
「1年の時にお前が振られた小山田さんと、同じ英文科だそうだぞ。」
 『そういや、そうだな。』
「あそこの英文科の授業は指定席で、座席は名簿順に並んでいるそうだ。二人がもし名簿が近くて仲が良かったら、お前のことで話が盛り上がってるんじゃないか?」
私はどきりとした。
 『まさか、そんな。英文科は百数十人もいて、何クラスにも分かれているって聞いたぞ』
「確かに、名簿順にクラスがいくつにも分かれているらしいな。」
 『多分、小山田のオと佐田のサの間には何人もいて、クラスも席順も離れてるだろう』
日本人の名字は、比較的ア行とカ行に多く分布している。
小山田と佐田のクラスや座席が近い可能性は低いと私は思った。


「お前、英文科の名簿を見たことが有るか?」
 『いや?』
「俺たちと違ってアルファベット順らしい。」
 『へー』
「小山田のOと佐田のSの間は、PQRの三つだ。」
 『PやQで始まる名字?  ぱぴぷ・・・、Qは無いな』
ラ行の名字も、ほとんど思いつかない・・・


私の眼に、意気投合して話をする彼女たち二人の姿が浮かんだ。