アーサー・C・クラークのSF小説「地球幼年期の終わり」の中で、「未来からの記憶」という言葉が出てくる。
私はこの言葉が好きだ。
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小説の中で、次のような内容が語られる。
ある日、宇宙人の乗った宇宙船が地球に着陸した。
しかし、宇宙船からは誰も降りてこない。
全世界が警戒して見守る中、宇宙船からは様々な情報が発信される。
それは有益な科学技術を地球人に伝えるものだった。
こうして姿は見せないものの、宇宙人は地球人から信頼を得ていく。
そして長い期間が過ぎた後、とうとう宇宙人はその姿を見せた。
その姿は、古くから語り継がれてきた「悪魔」そっくりの姿だった。
宇宙人が長く姿を見せなかった理由は、その姿から地球人に警戒感を持たれることを恐れたからだった。
こうして宇宙人と地球人の交流は深まっていくが、それはこれまでの古い形の地球文明の終焉を意味した。
新しい文明のスタイルはこれまでのものと全く異なり、古いタイプの地球人にとってそれは絶望に近いものだった。
この場面で「未来からの記憶」という言葉が紹介される。
これまで伝えられてきた悪魔の姿は、過去から現在に伝えられたものでは無く、絶望の未来から過去へ向けて「伝えられた」警告だったという説明だ。
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SFの中ではタイムトラベルに代表されるように、時間軸さえも逆転可能なものとして描かれる。
私はSFのそんな自由な発想が大好きだ。
高校生の時にこの小説を読んで以降、私は様々な場面で「未来からの記憶」を感じることがある。
初対面なのに会った瞬間から感じる、親近感や懐かしさ、悲しい感情や警戒感。
後から振り返ると、それぞれがその後の関係を象徴していたように思う事も多い。
大学に入学した時、入学式の会場の外で、雨の中に傘を差して歌っているグリークラブを見かけた。
私はオーケストラやピアノ曲は好きだが、合唱に興味は無かった。
しかも十数名の少人数の合唱に、普通だったら足を止めるはずもないのだが、その時はなぜか立ち止まって暫く演奏を聴いた。
綺麗なハーモニーだなと思ったのを覚えている。
まさかそれから10ヶ月後に入部し、その後の私の学生生活を大きく左右するとは思ってもいなかった。
これまでの人生で、出会った時の印象が好印象だった出会いほど、その後深い繋がりになったケースが多い様な気がする。
た
学校を卒業直後、職場に赴任して最初の会議の冒頭で、全職員の自己紹介があった。
1人1人が立って挨拶をした際に、ある女性のショートカットの髪型と爽やかな笑顔に私は好印象を感じた。
多分それは私が土田早苗のファンで、ショートカットの髪型の女性が好きだったからだと思うが、それだけではない何となしの好感を抱いた。
そして私とその人は、紆余曲折はあったものの、その一年後には結婚することになった。
だが、もし今の私が「過去の自分に伝えるべき記憶」として選ぶなら、何を選ぶだろう。
多分、優しい笑顔では無く、もっと・・・
クラークの言う「未来からの記憶」が存在する世界は、SFの中だけに有るのかも知れない。