学生時代に所属した探検部での活動は、洞窟調査や登山が主だったが、海や川等での活動もあった。
幅の広さは、未熟さにもつながりやすかった。
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「4二銀」
『5六歩』
「5四歩」
『5七金』
「そんなとこに金があったか?」
『有りましたよ。』
「うそー」
将棋盤も駒もないバーチャルな「闇将棋」はお互いの記憶力だけが頼りで、いつも二十手と続かない。
吹雪で避難小屋に閉じ込められた私たち二人は、今日も闇将棋をやっていた。
食料も残り少なかったが、気がかりなのは登山口で投函した登山届の行方だ。
すでに下山予定日を過ぎている。
まさかとは思うが、麓で捜索隊が組織されて大騒ぎになっているのではないかと不安だった。
一刻も早く下りたいが、今朝も風は収まらない。
こうなると分かっていたら登山届なんか出さなければ良かったとも思う。
しかし、このまま風が収まらずに食糧が尽きたら、捜索隊は最後の頼みとなる。
不安は尽きなかったが、将棋でもやりながら風が収まるのを待つしかなかった。
探検部の後輩の国本とこの大山に向かったのは三日前だった。
二人とも貧乏学生なのでまともな装備は揃えられない。
しかし12本爪のアイゼンは無理としても、4本爪の簡易アイゼンだけでも欲しいと思い、近くの登山用品店へ行った。
「どこへ行く?」
顔見知りの店長は、安物のアイゼンを買おうとする私たちに聞いてきた。
「大山です。」
「冬の大山にこんなもんは役に立たん。危ないからやめとけ!」
私たちの力量と装備を知って、店長は猛反対した。
結局、私達はアイゼンを買えずに店を出た。
どうしたものか悩んだが、
「有っても役に立たないなら、無くても一緒だ。」
という結論になり、私たちはアイゼン無しで出発した。
広島から鉄道を乗り継ぎ、駅に降りた後は登山口の大山寺までバスで登る。
登山届をポストに入れ、登山道へと私たちは足を踏み入れた。
3月に入ったばかりの山は雪に覆われ、白一色の世界だった。
私たちは胸を躍らせながら歩みを進めた。
好天で山肌もはっきりと見えていたが、海に近い独立峰のためか、頂上付近は雲に隠れていた。
登りやすい締まった雪を踏みしめ、八合目までは順調なペースだった。
目に入るのは青い空と白銀の山、そして眼下に広がる日本海。
休憩のたびにカメラを構え、「この風景を見るためにここまできたんだ」としみじみ思った。
しかしその後、次第に尾根道は細く急傾斜となる。
左右に深い谷がのぞき、足元は雪から氷状のアイスバーンに変わった。
氷の壁に対して、アイゼンの無い登山靴は全くの無力だった。
つるつると滑り、全く体重を支えられない。
ここで一旦滑れば、長い距離を一気に滑落することになる。
店長の忠告を無視したことを後悔した。
かと言って引き返す勇気もなく、持参したスコップで一段一段ステップを削りながら進むこととした。
命がかかっているという緊張感に背筋がぞくぞくとする。
充実感と後悔の入り混じった奇妙な感覚だ。
ひょっとしたら、これを味わうために山に登っているのかも知れない。
長い格闘の末やっと難所を過ぎ、傾斜は緩やかになった。
この後は頂上付近の避難小屋を目指すだけだ。
しかし頂上近くに来た頃から霧が出てきた。
風が強まり雪も舞い始める。
難所で時間を使いすぎ、すでに到着予定時刻を大きく過ぎていた。
白銀の世界は、足元も空も薄暗い灰色の世界へと変わり、気温も下がりだした。
少し焦りながら避難小屋を探して歩いた。
やがて霧の中から、四角い建物とその上に少し突き出たチムニー(冬期入り口)が見えた。
「有った!」
二人で小躍りしながら建物に近づき、屋根へと上った。
チムニーのふたを開け中の梯子を下りて行く。
床に降り立ったが、誰もいなかった。
しかし、風が渦巻く外と違い中は静かで安全な世界だ。
その夜は持参のウイスキーで祝杯をあげた。
翌日、まだ外は吹雪いていた。
東の峰へ縦走する予定だったので、下見に少し歩いてみる。
剃刀の様に切り立った縦走路は、夏に来た時は四つ這いでないと怖くて歩けなかったが、雪に覆われた今は歩きやすそうに見える。
だがよく見ると、雪と風が作り出した足場は脆そうだ。
行けるという自信と、やめとけという不安がしばし葛藤した。
しかし、さすがに理性が働いた。
「このまま、来た道を下りよう。」
悪天候も、判断の大きな要因だった。
小屋に戻り、手早く荷造りを済ませると外へ出た。
視界が悪く頬が痛いほどの冷たい風の中を、コンパスを頼りに歩く。
頂上付近の平坦部から尾根に出るはずなのだが、来た道が見当たらない。
傾斜だけがどんどん急になり、切り落ちた崖に出た。
慌てて進路を右に変える。
しかし、今度は別の崖に行く手を阻まれた。
崖の下は吹雪でかすんでいる。
「帰れない・・・」
恐ろしい想像に鳥肌が立った。
このまま動けば小屋へ戻る道もわからなくなりそうだ。
一旦小屋へ戻ることとし、迷いながらもどうにか小屋へ戻りついた。
体が震える。
寒さのためばかりではないようだ。
リュックからコンロを取り出し火をつけた。
凍てついた髪の毛が解け体が緩む。
鍋の中の雪の塊がお湯になった頃、やっと落ち着きを取り戻した。
吹雪の中でむやみに動き回るのは命取りだ。
天候の回復を待つこととした。
寝ていても退屈なので、漫画で見たことのある闇将棋をやってみた。
勝負はつかないが、格好の暇つぶしにはなる。
こうして二日目は過ぎていった。
翌三日目は下山予定日だったが、吹雪はやまなかった。
下山を目指して小屋を出るが、二日目と同じ結果だった。
不安はいよいよ大きくなる。
食料の予備は一日分しかない。
「明日こそ風がやんでくれ。」と、祈る気持ちで床に就いた。
四日目も吹雪だった。
食料は非常食だけだ。
「遭難」という言葉が頭に浮かんだ。
このまま風がやまなければ、食料と燃料が尽きた瞬間に命が危なくなる。
山を甘く見ていた。
店長の顔が浮かんだ。
こうなれば、一か八かで崖のような急斜面を下りようか。
しかし、あの斜面をザイル無しで降りることは無理だろう。
吹雪がやむまで食料を食いつなぐしかない。
体力を温存するためにシュラフに入り、また二人で将棋を指した。
そんな時だった。
コンクリート作りの屋根の上で「ゴツン」と音がした。
風は強いが、木も生えていない山の頂上に物が飛んでくる事は考えられない。
二人は顔を見合わせた。
「ガツ、ガツ、ガツ」と連続音がした。
足音だろうか。
しかし、こんな猛吹雪の中を登ってくる人間がいる筈がない。
これが夜だったら悲鳴をあげていたかも知れない。
やがて、何かがチムニーを降りてくる気配がした。
『こんにちは』
やってきたのは二人の男だった。
「救助隊だ。助かった!」と思った。
「吹雪の中を、ここまで来るのは大変だったでしょう。」
『吹雪?、ここは風が強いけど、下は晴れてますよ。』
「晴れ・・・」
二人に救助のお礼を言おうとしていた私たちは、自分たちが「遭難ごっこ」をしていることを悟った。
聞けば、この四日間下界はずっと好天だったらしい。
全身から力が抜けていった。
その後二人から下山ルートを教えてもらって帰路についた。
探していた登山道は、一旦少し上った先に有った。
私たちが道に迷ったのは、ひたすら下ろうとばかりしていたからで、来るときの微妙なアップダウンを見落としていたようだ。
ルートに沿ってしばらく下ると、吹雪は収まり嘘みたいな好天になった。
これまでの三日間の苦労は何だったのかと、笑うしかなかった。
どうやら、頂上付近にかかる雲の中だけが悪天候だった様だ。
やがて来た時と同じ急斜面の難所に出る。
登るときも苦労したが、下りは更に危険だった。
氷のステップを後ろ向きの姿勢で切り出さねばならず、登る時以上に時間がかかった。
途中、上のほうから先ほどの二人が軽快な足取りで下りてきた。
アイゼンを履いた二人は走るように下りていき、私たちはカタツムリのように這って進んだ。
何度か滑落しそうになりながらも、どうにか登山口へ辿り着いたのは夕刻だった。
捜索隊なんぞ、どこにもいなかった。
1日くらいの下山遅れは珍しい事ではないらしい。
こうして私たちのお粗末な雪山登山は終わった。
手元に、何十年も前に撮影したその時の写真がある。
雪山を背景に大きなリュックを背負って立つ姿は、登る前の意気揚々とした私だ。
装備も知識もないのに、なんでこの男はこれほどまでに自信満々なのだろう。
あの頃はどんな事が有ろうとも、前に突き進んでいけた。
だが、社会に出た後の私はどうだったろう。
数多く道に迷ったが、正しい道を歩いてきたのだろうか。
自分に問うてみるが、答はまるであの時の闇将棋のように、厖として定かでない。