ノスタルジー千夜一夜

失敗と後悔と懺悔の記録(草野徹平日記)

第25夜 指の切断より怖いもの(家庭に潜む 危険)

私の左手の人差し指には深い傷痕が二本ある。
一本は記憶が無いほど幼いころのもの。
そしてもう一本は・・・
--------------------------

4月、今年も生垣の剪定を電動の剪定機で始めた。
家の周囲に植えた紅カナメは、毎年赤く美しい若葉を芽吹く。
ただ、その維持管理は大変だ。
年に何回もする剪定と剪定くずの処理、そして消毒は大きな負担となっている。

 

その日は夏を思わせる様な暑さだった。

結構太い一本の枝を苦労して切り落とした時、このままでは大き過ぎて処分の際に困ると思った。
そこで落とした枝を左手に持ち、右手の剪定機で小枝を払おうとしたら、勢い余って左手の先に高速で動く刃が触れてしまった。
一瞬軽いショックを感じた。
痛みはあまり感じないが、人差し指の先から血が出ている。
「まずい、やってしまった」と思った。
手をよく見ると、左手人差し指が第一関節の先でザックリと切れ、かろうじて一部分だけでつながっていた。
指先から2センチ足らずの位置で、骨の損傷は不明だ。

 

私は何事にも不注意な性格で、小さな交通事故やケガを何回もしている。
その度に女房に叱られた。
つい先日も脚立から転落して背中を痛打し、女房に叱られたばかりだった。
今日のケガは女房には隠すことにした。

 

まずは血を止めなければならない。
だが血を滴らせながらでは室内に入れず、仕方なく女房を呼んだ。
外から、庭に面した居間の窓を叩く。
「なに!」
読書を邪魔された女房は機嫌が悪い。
『ごめん、良かったらバンドエイドを取ってくれない?』
「また、何かやったの!」
先日のこともあり、責める口調だ。
「いや、大したことじゃない。ちょっと切り傷が・・・」
女房は呆れた顔をしながらもバンドエイドを箱ごと持ってきた。
私は女房の目の届かないところまで行って、傷口に貼ろうとしたが片手ではうまくいかない。
諦めた私は仕方なく女房の所へ戻った

傷口を見た女房は慌てた。
私を叱りながらも、医者へ行くべきだと私を車に押し込んだ。
確かに切断寸前の深い傷なので、医者で縫ってもらったがいいかなと思い、救急窓口の有る近くの総合病院へと向かった。

 

病院へ向かう車の中で、この総合病院の外科には行ったことがないのに気づいた。
以前、内科に行った時にはあまりいい印象を受けなかった。
私は学生時代に、開業したばかりの歯科医院でひどい治療を受け、40度を超す熱が出て顔が大きく腫れたことがある。
内科の病気は自然治癒でも治るが、外科や歯科は医者の腕がものをいう。
この病院でいいだろうかと不安になってきた。
病院に着き車から出て歩き始めた私の目に、すぐ近くにある消防署が目に入った。
私は名案を思い付いた。

 

「すみません。剪定作業中に指を切ってしまいました。K病院までお願いできますか?」
車を消防署で停め、私は受付で事情を説明した。
K病院は20km程離れているが、手足の切断にもうまく対応できると、この近くでは有名な救急病院だ。
『えっ、指の切断ですか!』
「ええまあ、ほとんど切れているので、切断と言えば切断ですが・・」
受付の人間はすぐに署内へ連絡した。
「指の切断事故です。救急車出動願います。」
かくして、私は救急車に乗り込みサイレンと共にK病院へ向かった。

 

K病院へ着くと、休日のためか客(?)は少なかった。
外科の救急外来は少ないのだろうか。
若い看護師がケガをした時の様子を聞きに来たので、状況を説明した。
看護師は、電話で医者らしき人間に連絡を始めた。
「はい、指の切断です。お休み中にすみません。それではお願いします。」
救急病院ではあるが、切断事故に対応する医者は本日休暇を取っている様子だった。
「先生はすぐに来られますので、しばらくお待ちください。」
私は、わざわざ医者を呼び出して貰って恐縮した。

 

多少待たされたが、思ったよりも早く医者はきた。
息を弾ませながらやってきた医者は、てきぱきと看護師に指示をする。
指に麻酔が注射され、まずは傷口の洗浄が始まった。
透明な液体をかけながら、歯ブラシのようなものでゴシゴシと擦る。
痛みを全く感じない私は、他人の手術でも見る感覚でその様子をじっと眺めた。
すると突然医者が驚き、そして怒り出した。

 

「何だこれは! 切断事故じゃないじゃないか! 単なる切り傷だ!」

せっかくの休日に呼び出された医者は、「これぐらいの傷で俺を呼び出すな!」と言わんばかりに、若い看護師を叱る。
治療台に座らされたまま身動きの取れない私は、下を向くしかなかった。
私は看護師に「切断」とは言っていないが、救急車からの電話連絡で、「切断事故」と伝わっていたのだろう。
私は看護師に申し訳なかった。

 

 

人差し指は斜めに切れていたため、幸いにも傷は骨を逸れていた。
何針も縫って無事つながったが、深い傷跡が残り指紋も変わってしまった。
その後数年はしびれが残ったが、十年近くたった今はそれもほとんど感じない。
ただ、私に注がれる女房の視線は、より厳しくなった・・・