ノスタルジー千夜一夜

失敗と後悔と懺悔の記録(草野徹平日記)

第20夜 青雲寮②(アルバイト)・・・電話番の罠

「アルバイトの募集です。期日は明日の8時から、建設現場の作業、日給は5000円。」
寮内放送が流れると、各階からいくつもの足音が事務室めがけて走り出す。

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公衆電話 ピンク に対する画像結果

 

学生時代の最初に住んだ青雲寮には、玄関先に事務室が有り公衆電話と寮内放送の設備があった。
学生は当番を決めて、電話番や配達物の受け取り、共同浴場の掃除などを担当する。
そんな中でも電話番は人気の仕事だった。
寮には頻繁にアルバイト募集の電話がかかってきたが、バイトはたいてい取り合いとなる。
当番は電話を受け付けると寮内放送で案内し、先着順にバイトを学生に割り当てるのが仕事なのだが、真っ先に自分がアルバイト先をゲットできた。


バイトの仕事内容は建設現場等での肉体労働が多かった。
記憶に残っているのは、当時建築中だった広島市中心部のSデパート建設現場だ。
資材運搬の仕事だったが、現場の都合で作業が無くなり、2時間ほど待機させられたあげくバイト代だけもらって帰された。
完成間近のビルの屋上からは隣にある広島市民球場を見下ろすことができ、その眺めは絶景だった。


一方、楽でぼろいと思って行ったのに後悔したバイトもある。
開通して間もない山陽新幹線のトンネル内で、天井からぶら下がっている電線の絶縁碍子を磨くバイトだった。
濡れ雑巾で碍子を磨くだけの軽作業で、一カ所に付き数千円がもらえる仕事だ。
「これなら、一晩で2万はいける!」と思って応募した。
だが仕事は深夜作業で、下から見上げる電線は想像以上に高かった。
背の高い脚立に命綱もつけずに上り、高圧電線を天井から支えている碍子の裏表を磨く。
新幹線の電圧は25000V、つい先ほどまでは電車が走っていた。
「これ、本当に電源切ってありますよね?」
私は登る前に何度も確認したが、作業を始めるまでは不安だった。
上を向きっぱなしでの作業は辛い、身体は不安定で平衡感覚も怪しくなる。
朝までに二組磨くのがやっとで、深夜の高所作業の割に儲からないバイトだった。


弁当屋での仕事もきつかった。
広島駅近くの駅弁を作る工場で、ベルトコンベヤーに載って流れてくる弁当箱にひたすらおかずを詰めた。
朝からの販売に向け、作業は深夜から未明にかけて行われる。
眠たさに負けて、私は立ったまま居眠りをした。
はっと気づくと、空の弁当箱がすでに数メートル先まで流れている。
私は慌てて追いかけて、おかずを詰めながら定位置まで戻るが、やがてまた居眠りをする。
その繰り返しだった。
結局このバイトは2日でやめた。
後日、チャップリンの「モダンタイムス」の映画を見た時、この弁当屋での仕事を思い出した。


バイトでは生活費を得ることができて助かったが、今にして思えば、肉体労働に対しての自分の偏見をなくすことができたのが、一番の収穫だったかも知れない。
私は建設業を営む兼業農家に育ちながら、家業を嫌っていた。
建設業も農業も炎天下や酷寒の中での作業で、休みも少ないからだ
だが実際に「きつい・汚い・危険」の3Kの職場で働き、そこで作業後の達成感や仕事の奥の深さ、賃金を得るために働くことのすばらしさ等を体験して、偏見が減ったように思う。


さて、寮の放送で過去一番人気があったのは某女子大でのバイトだった。


「アルバイトの募集です。期日は明後日の8時から半日、女子大での身体検査。給与は2000円。」
この放送を聞いて、耳を疑った。
「女子大での身体検査のバイト?」
「そんな馬鹿な・・・」
この一瞬の躊躇が運命を分けた。
おびただしい数の足音が各階に響き、私が駆けつけた時にはすでに多数の寮生が列を作っていた。


賃金としては魅力が少ない。
だがみんな金が目的ではない。
私は事務室に一番近い部屋に住みながら、チャンスを逃したことを後悔した。

 

しかし、なぜ女学生の身体検査を男子学生に依頼したのだろう。
また、電話を受けた寮生はこんな良いバイトを、なぜ自分でゲットしなかったんだろう。


後日、このバイトに幸運にもありついた寮生の話が伝わってきた。
現地に行くと、驚いたことに本当に身体検査のバイトだったそうだ。
ただその仕事内容は、体育館前での受付の仕事だったらしい。
私は、当日電話番をした寮生の笑い顔が目に浮かんだ。

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